【バチカン11月23日CNS】キリスト者が「信条」を唱えるときには、自分たちが本当に何を信じ、神への信仰をどのような模範によって他者に示すのかについて良心の糾明が促されるはずだと教皇レオ14世は自身の使徒的書簡で指摘している。
「戦争が何度も起こり、人々が殺されてきました。神の名によって、迫害と差別を受けてきたのです」と教皇は書簡で強調する。「いつくしみ深い神を告げ知らせる代わりに、怒りを引き起こし、罰を与える復讐(ふくしゅう)者である神が示されてきたのです」
教皇レオは11月23日、ニケア公会議開催1700年とその「信条」を記念する使徒的書簡「イン・ウニターテ・フィデイ」(信仰の一致のうちに)を発表した。教皇は11月27日から30日までのトルコ訪問で、東方正教会やプロテスタント教会の指導者たちと共にキリスト者が共有する「信条」を記念する前に使徒的書簡を発表したかったと記している。
325年にニケアに集まった司教たちは反キリスト教の迫害を生き延びていた、と教皇は指摘する。ただ各共同体は論争によって分裂の危機にあった。「それはキリスト教信仰の本質に関わることでした。つまり、イエスがフィリポ・カイサリア地方で弟子たちに告げた決定的な問いかけである『あなたがたはわたしを何者だと言うのか』(マタイ16・15)への答えです」
唯一の神とキリストの真の人性と神性を確認する上で、「司教たちが再確認を望んだのは、唯一の真の神が近づきがたいほど私たちから遠い存在ではなく、それどころか、神の方から私たちに近づかれ、イエス・キリストのうちに私たちと出会うために来られたということです」。
「これが私たちキリスト者の人生の核心にあります」と教皇レオは強調する。「私たちはこうした理由から、私たちの師であり、仲間であり、兄弟、友であるイエスに従うことになるのです」
「信条」は教会一致の旅路の「基礎」
カトリック信者と他の主流派キリスト教会の信者が毎週の主日に唱える信条は、公式には「ニケア・コンスタンチノープル信条」と呼ばれる。それには381年の第1コンスタンチノープル公会議で司教たちによって加えられた聖霊についての信仰箇条が含まれているからだ。
西方教会の信者たちは、こう唱える。「わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました」
ただ、教皇の使徒的書簡の脚注では、「フィリオクエ」として知られる「父と子から出て」は、「コンスタンチノープルの祈りの文には含まれていない。それは1014年に教皇ベネディクト8世によってラテン教会の信条に挿入されたもので、東方正教会とカトリック教会の対話の主題となっている」と説明されている。
教皇ベネディクト16世や教皇フランシスコ、教皇レオ14世ら最近の教皇は、この箇所を超教派の礼拝では唱えていない。
教皇レオは今回の使徒的書簡で、キリスト教一致へのカトリック教会の決意を強調し、「ニケア信条は、この旅路の基礎であり、判断基準になり得るものです」と記している。
神がイエスのうちに人となられたと信じることが意味するのは、「私たちが今、困窮する兄弟姉妹のうちに主と出会うということです」と教皇レオは説明する。それはイエスが言われたことに表れている。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25・40)
「ニケア信条は、哲学的理論の定式ではありません」と教皇レオは付け加えている。「それは、イエス・キリストを通して私たちをあがなってくださった神への信仰を告白します。生きておられる神についてなのです。主は私たちが豊かにいのちを受けることを望んでおられます(ヨハネ10・10参照)」

