【バチカン10月19日CNS】教皇レオ14世は10月19日、「世界宣教の日」に7人の福者を列聖し、神は常に罪もなく苦しむ人のそばにおられ、その正義はゆるしの形で表れると強調した。
「神は全ての人を公正に扱い、ご自分のいのちを与えてくださいます」と教皇はバチカンのサンピエトロ広場でささげた列聖式ミサの説教で語った。毎年、10月の最後から2番目の日曜日に記念される「世界宣教の日」に、教会は宣教者たちと、その福音宣教や教育、医療ケアなどの奉仕活動のために祈りをささげる。
「実際、この信仰は私たちの正義への取り組みを支えてくれます。それはまさに私たちが、神は愛によって世界を救ってくださり、私たちを運命論から解放してくださると信じるからなのです」と教皇は説明する。「私たちが困難のうちにある人々の叫びを聞くとき、自問しましょう。イエスが全ての人に対してなさったように、私たちは御父の愛を証しできているだろうか」
イエスは「謙遜な方で、高ぶっている人に回心を求めます。そして正しい方で、私たちを正しく導いてくださいます」。
地上の信仰は「天の希望を支える」
教皇レオ14世は、就任後2度目の列聖式で、19世紀から21世紀に生きた7人の男女を聖人に上げた。
そのうち2人はベネズエラ初の聖人となった男女で、修道会を創立した修道女と信徒の医師だった。同時に列聖された他の5人には、サレジアン・シスターズ(扶助者聖母会)のイタリア人修道女で、エクアドルで宣教していたが飛行機事故で死去した聖マリア・トロンカッティやパプアニューギニア初の聖人となった信徒カテキスタ(要理教師)の聖ピーター・ト・ロト殉教者がいた。
教皇はミサの説教で、新聖人たちは「キリストの忠実な友」で、「何かの理想を体現する英雄でも擁護者でも」なく、信仰のゆえの殉教者、福音宣教者、カリスマにあふれる修道会創立者として、「人類に恩恵をもたらした人たち」だったと称賛した。
「こうして地上で信仰を生きることは、天の希望を支えます」と教皇は強調する。
実際、イエスは弟子たちに、「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18・1)と教えている、と教皇レオは指摘する。「呼吸が体のいのちを支えるように、祈りも魂のいのちを支えます。その証拠に、信仰は祈りのうちに表れ、真の祈りは信仰によって生きるのです」
「私たちと共に十字架につけられる」
当日の福音箇所の「やもめと裁判官」のたとえで、イエスは弟子たちに神が誰に対しても公正な審判者であることを信じるかと問いかける。そして、「私たちは神が常に私たちの幸せと全ての人の救いを願っていることを信じているか」が問われている。
この問いが重要なのは、この信仰が試される二つの誘惑があるからだ、と教皇は説明を続ける。一つ目の誘惑は、「悪によるつまずきから力を得ます。神は抑圧された人の叫びも聞かず、罪もなく苦しむ人にもあわれみを覚えないと私たちに思わせるのです」。
「二つ目の誘惑は、神が私たちの望み通りにしてくださるとする思い込みです。そうなると、祈りは神に対する命令口調になってしまい、どうすれば公正で都合良くなってもらえるかを指示するまでになります」
教皇レオは指摘する。イエスは、「この二つの誘惑から私たちを解放してくださいます」。特に主は受難の際に、こう祈る。「父よ、御心のままに行ってください」(ルカ22・42参照)。
「キリストの十字架は神の正義を示します。そして神の正義はゆるしです。主は悪をご覧になり、ご自分の身にそれを引き受けることによりあがなわれます」と教皇は続ける。「私たちが痛みや暴力によって、憎しみや戦争によって、『十字架につけられる』とき、キリストは既にそこにおられ、私たちのために、私たちと共に十字架につけられているのです」
「神が慰めてくださらない叫びはありません。主のみ心から遠く離れた涙はありません」と教皇レオ14世は強調する。「主は私たちに耳を傾け、ありのままの私たちを抱き締めてくださり、私たちをご自分のようにつくり変えてくださるのです」
