教皇、「カテキスタの祝祭」で 人生を変える愛の真理を伝える

【バチカン9月28日CNS】カテキスタ(要理教師)が教える際には、その目的はただ信仰を伝えるだけでなく、「いのちのことばを心に刻んでもらい、良い人生の実りを結んでもらう」ことにある、と教皇レオ14世は説く。
 「福音が私たちに告げ知らせているのは、全ての人の人生は、死から復活されたキリストによって、変えることができるということです。この出来事は私たちを救う真理です。ですから、広く知られて、伝えられる必要があるのです」と教皇は9月28日、聖年の「カテキスタの祝祭」で、世界115カ国以上から訪れた約2万人のカテキスタたちに語った。
 ただ、福音を告げ知らせるだけでは不十分だと教皇は、バチカンのサンピエトロ広場でささげられたミサの説教で指摘する。「愛がなくてはいけません。この愛が私たちを福音の理解に導いてくれるのです」
 教皇レオ14世はミサの中で、16カ国からの男女39人のカテキスタを公式に奉仕職に任命した。

 みことばが呼び覚ます良心
 
 当日のミサの福音箇所は、「金持ちとラザロ」のたとえ(ルカ16・19~31)だった。
 たとえの中でラザロは金持ちに無視されるが、「神は彼のそばにおられ、その名前を覚えられます」と教皇は強調する。
 ところが、金持ちの名前がたとえの中で呼ばれることはなく、「それは彼が隣人を顧みず、自分を見失っていたからです」と教皇は説明する。「彼は自分の心の中の思いに没頭していました。物はあふれていても、愛がなかったのです。彼の財産が彼を善良にすることはありませんでした」
 「残念なことに、キリストが私たちに説いてくださるこの物語は、今も現実に起こっていることです」と教皇は指摘する。「今日も富裕層の門前には、戦争や搾取によって傷ついた全ての人の窮状があるのです」
 「何世紀もの間、何も変わってこなかったように思われます。どれほど多くのラザロが、正義を顧みない強欲の前、愛を踏みにじる利益の前、そして貧しい人の苦しみに目を向けない金持ちの前で、死んでいることでしょう」
 たとえの中では、金持ちは死んで陰府(よみ)に落とされる。彼は天にいるアブラハムに、兄弟たちを悔い改めさせるためにラザロを遣わすよう頼み込む。
 教皇は指摘する。カテキスタが伝えることを求められている福音書の物語や聖書のことばは、人々を「失望させたり、落胆させたり」するためでなく、その良心を呼び覚ますためにある。
 教皇レオ14世は、教皇フランシスコの言葉から、カテケージス(信仰教育)の核心にあるメッセージを引用する。「主イエスは復活され、主イエスはあなたを愛しておられます。主はあなたのためにいのちを差し出され、復活して生きておられます。主はあなたの近くで、日々あなたを待っておられます」
 この真理が人々を、神を愛して、他者を愛するように促すことになる。
 教皇レオは付け加える。神の愛は「私たちの心を、神のみことばと隣人の顔に開かせることで、私たちを変えてくださるのです」。

9月28日、バチカンのサンピエトロ広場でささげた聖年の「カテキスタの祝祭」のミサ後、広場をパパモービレ(教皇専用車)で巡って、赤ちゃんにあいさつする教皇レオ14世(CNS photo/Lola Gomez)


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