【ローマ9月14日CNS】人類には人々の間の分断をあおっている暴力や憎しみを克服する力がある、と教皇レオ14世は就任後初のインタビューの中で語っている。
「理解しようとするなら、より深い考察を始めることが非常に重要だと私は思います。なぜ世界はここまで分極化しているのか。何が起こっているのか」と教皇は指摘し、「こうしたことにつながったさまざまな要素」として、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)による「2020年危機」や労働者階級と富裕層の間の所得格差の拡大、人生の意味についての感性の喪失などを挙げる。
インタビューからの抜粋は9月14日、教皇レオの70歳の誕生日に、カトリック系オンラインニュース「クラックス」によって公表された。9月18日には、インタビューの全文を載せた書籍「教皇レオ14世—世界市民・21世紀の宣教師」のスペイン語版がペンギン・ペルーから刊行される。英語版とポルトガル語版は2026年初頭に刊行される予定。
新刊本には教皇レオとクラクスのエリーズ・アレン記者との間で7月末に2回にわたり交わされ、約3時間に及んだ会話の内容を収録している。クラックスが公表した抜粋では、教皇職への適応の過程や世界の分断、シノダリティー(共に歩む旅)についてなどのやりとりが掲載されている。
教皇職への適応と「分極化」「所得格差」
5月8日の選出後の教皇職への適応について聞かれた教皇レオ14世は、こう答える。「まだ学ぶべきことがたくさんあります」
司牧的な側面で難しいことはないが、「反響に驚いています。どんどん大きくなっているのです」と教皇は付け加えた。
全く新しい側面は、「世界の指導者たちのレベルにいきなり放り込まれることです。全てが公になります。教会の声が重要な役割を果たすことになる時代にあって、私の国家元首や世界各国の首脳との電話や会談が広く知られるのです」と教皇は説明する。
教皇レオはアレン記者に語る。「私たちは『分極化』ということが日常的に言われる時代を生きています。これは誰のためにもなっていません。もし誰かのためになっているとしたら、それは全くの少数で、他の全ての人は苦しんでいるのです」
「私たちは自分たちに言い聞かせ続けなければなりません。ただただ私たちを分断している暴力と憎しみを克服する力が人類にはあるのです」と教皇は強調する。
分極化の解決策について聞かれた教皇は、その原因について考え、話し合う必要があると答える。
「私は全ての答えを持っているとは言えませんが、おそらく、ある所では人のいのちが何であるかということについての高い意識が欠けていること」が、問題の原因になっていて、人々が人のいのちや家庭、社会についての価値観を失えば、「まだ何か大切なことがあるのか」となってしまう。
他にも関連する要因がある中で、「私が非常に重要だと考えていることは、労働者階級の所得水準と富裕層が受け取る金額との間で広がり続けている格差です」。
「例えば、60年前の最高経営責任者は労働者が受け取る賃金の4倍から6倍ほどの収入を得ていたと思われますが、私が最近目にした数字では、その収入は平均的な労働者が受け取る金額の600倍にも達していたのです」と教皇は語った。
シノダリティーが世界に教えること
シノダリティー(共に歩む旅)は、分極化への対抗手段となり得るかもしれず、「現代世界で私たちが抱えている最大の課題の幾つかに取り組む手段」になると教皇は付け加える。
「私たちが福音に耳を傾けて、共に深く省察すれば、そして互いに耳を傾け合いながら共に前進していく努力をし、神が今日私たちに話されていることを見いだそうとすれば、私たちのために多くのことが得られるはずです」と教皇は説明する。
教皇レオ14世は強調する。教皇フランシスコの教皇職を代表する考え方となったシノダリティーは、もっと早く第2バチカン公会議で始まり、「少なくともラテンアメリカで」発展した。米国出身の教皇レオ14世は20年以上、ラテンアメリカで奉仕していた。
この考え方は、「教会をある種の民主主義政府に変えようとするものではありません。今日の世界で多くの国々を見てみれば、民主主義は必ずしもあらゆることに対する完璧な解決策にはなっていません」と教皇は説明を続ける。
「そうではなく、教会生活そのものを尊重し、理解して、『共にこれをしなくてはなりません』と言うことです。私の考えでは、そうすることで教会に大きな機会がもたらされ、教会が世界全体と関わる機会がもたらされると思うのです」
シノダリティーについての理解をどう説明するかと聞かれた教皇レオは、こう答える。それは「私たちがどのようにして一致協力し、共同体となって教会としての交わりを求めていけるかを説明する方法となります。その教会は制度的な位階制に主要な重点を置くのではなく、むしろ『私たちは共にある』『私たちの教会』という感性を大切にする教会です。そこでは誰もが固有の召命を担い、『果たすべき役割や貢献することがあり、共に私たちが成長する道を見いだし、教会として共に歩んでいきます』。
教皇レオ14世は、「そのことに脅威を覚えてきた人もいる」ことは承知している。
「時には司教たち、または司祭たちが感じるかもしれません。『シノダリティーで私の権威が奪われてしまう』と。それはシノダリティーの本質ではありません。そうした権威についての考え方は、いくらか的外れで、間違っています」と教皇は説明する。
そうではなく、シノダリティーは「今日の世界に多くのことを教えられる姿勢なのだと私は思います」
