【バチカン7月30日CNS】暴力と憎しみがはびこる世界は癒やしを必要としている、と教皇レオ14世は強調する。
「私たちはソーシャルメディアとつながる中で『食べ過ぎ』によって不健康になっている社会で生活しています。私たちはつながり過ぎていて、時には間違っていたり、ゆがめられていたりさえする情報を浴びせられるのです」と教皇は7月30日、バチカンのサンピエトロ広場で開いた一般謁見で、数万人の巡礼者たちに語った。
誠実さと賢明さを伴って伝えるすべを学ぶことで、キリスト信者は他者を傷つけることを避けられるし、福音を分かち合うことで、人々を主のみことばによる癒やしに導くこともできる、と教皇は指摘する。
教皇は7月に入って取っていた短い夏休みの後、一般謁見を再開した。参加した数万人の多くは、7月28日から8月3日までの「青年の祝祭」に集まった巡礼者たちだった。
聖年のテーマ「イエス・キリスト—私たちの希望」に沿って「イエスの公生活」について続けてきた一般謁見の講話は今回で終わる。教皇はイエスが「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒やした奇跡(マルコ7・31〜37)について話した。
この世と人間関係と人生に「心を開く」
「私たちが生きている現代も、癒やしを必要としています。私たちの世界は、人間の尊厳を踏みにじる暴力と憎しみがはびこる風潮にさらされているのです」と教皇は指摘する。
「このような状況の中で、私たちのうちに全てを消し去りたいという望みが生まれる可能性があります。私たちはもはや何も感じないことを選ぶようになるかもしれません」と教皇は続ける。「私たちの言葉さえも誤解される恐れがあります。そのため私たちは、沈黙のうちに、コミュニケーションの欠如のうちに閉じこもる誘惑に駆られるかもしれません。そこでは、どんなに親しい人とも、最も単純で深い事柄を語り合うことができなくなります」
「マルコによる福音書」の耳が聞こえず舌の回らない人についての一節では、「この人の沈黙と心を閉ざした姿の後ろに隠れていること」をイエスが理解していて、「この人が親しい関係と寄り添いを必要としていることを知っておられたかのように思われます」。
「イエスは何よりもまず、この人に沈黙のうちに親しさを示し」、耳と舌に手で触れて「エッファタ」と言われる。アラム語で「開け」という意味だと教皇は説明する。
教皇レオ14世は、さらに説明を続ける。「イエスはこの人に、こう告げているかのようです。『あなたを怖がらせるこの世に心を開きなさい。あなたを失望させた人間関係に心を開きなさい。あなたが立ち向かうことを諦めた人生に心を開きなさい』。実際、閉じこもることは解決にはなりません」
「私たちは皆、誤解されるか、理解されていないと感じる経験をします。私たちは皆、主によってコミュニケーションの方法を癒やしていただくことを必要としています」と教皇は付け加える。「それは、より効果的にコミュニケーションを行うためだけでなく、私たちの言葉で他者を傷つけるのを避けるためです」
