【バチカン5月21日CNS】福音書に記されている、良い土地に種をまく人や石だらけの土地にまく人が出てくる「種をまく人」のたとえは、「神が私たちを愛してくださるありようを示している」と教皇レオ14世は初めて開いた一般謁見で、参加した人々に語った。
このたとえが人々には奇妙に感じられるかもしれないのは、「私たちは物事を計算することに慣れてしまっているからです。そして時には必要なことではあっても、これは愛にはふさわしいことではありません」と教皇は5月21日、バチカンのサンピエトロ広場に集まった約4万の人々に説明した。
教皇レオ14世は準備されたイタリア語の原稿を読み上げ、英語とスペイン語による講話の要約も自身で読んだ。
教皇は一般謁見の最後に、イスラエル軍がパレスチナ・ガザで軍事侵攻を激化させ、人道支援の搬入を制限していることに関心を寄せるよう呼びかけた。
「ガザの状況はますます心配で痛ましいものになっています。私は改めて心から訴えます。まっとうな人道支援の搬入を認めて、敵対を終わらせてください。胸を引き裂くような苦しみを受けているのは子どもたちと高齢者、病者です」
レオ14世はイタリア語によるあいさつで、今回の一般謁見を終えるに当たって、忘れることができないのは「私たちの愛する教皇フランシスコのことです。ちょうど1カ月前に私たちの御父の家に帰られました」と付け加えた。
バチカンは3カ月以上、一般謁見を開いていなかった。教皇フランシスコが最後に一般謁見で巡礼者や来訪者に会ったのは2月12日で、その2日後に入院していた。4月21日に逝去した。
みことばの恵みで「より良い土地」に
教皇レオ14世は5月21日、一般謁見を始める前にサンピエトロ広場の中をパパモービレ(教皇専用車)で回って人々にあいさつし、幼児にはひたいに十字架のしるしをして祝福を与えていた。
教皇は一般謁見を始めるに当たって、前教皇が聖年にちなんで「イエス・キリスト―私たちの希望」をテーマとして続けていた講話を引き継ぐと説明した。
教皇レオ14世は今回、特に「マタイによる福音書」(13・1~17)の「種をまく人」のたとえについて話し、イエスのたとえは「日常の生活からとられている」が、聞き手に「より深い意味」を悟らせようとしていると指摘した。
「種をまく人」のたとえが説いているのは「神のことばの力とそれがもたらす効果です。実際、福音のことばは私たちの人生の土壌にまかれる種のようなものなのです」と教皇は続ける。
種がどうなるかは、まかれる土地の資質によって決まる、と教皇はさらに説明する。
「ただ何よりも、イエスがこのたとえで私たちに告げておられるのは、神はみことばの種をあらゆる土地にまかれるということです。つまり私たちのいろいろな状況です。時に私たちはうわべばかりを気にして、ぼんやりと過ごしています。時には何かに熱中して上の空にもなりますし、時として人生の悩み事で押しつぶされそうにもなっています。それでも、みことばを喜んで受け入れる時もあるのです」
「神は確信を持って、遅かれ早かれ種が芽吹くのを期待しておられます」と教皇レオ14世は指摘する。「こうして神は私たちを愛してくださるのです。神は私たちが最良の土地になるのを待つのではなく、いつも惜しみなく私たちにみことばを与えてくださいます」
神がどれほど自分たちを愛し、信頼してくださっているかが分かれば、人々は「より良い土地」になろうと頑張るようになると教皇は続ける。
教皇レオ14世は人々にこう促す。「私たちは主に祈り、いつも主のみことばの種を受け入れる恵みを願いましょう。私たちが豊かな土地でないと分かっても落胆せずに、私たちを耕して、もっと良い土地に変えてくださるよう主に願いましょう」
