12年の教皇職の中心に 移住者を守る「野戦病院」

【ローマ4月21日CNS】教皇フランシスコの2013年3月の選出後間もなく、メディアの評論家や信者たちは、教皇が最初に訪問する国はどこになるのかと予想に忙しかった。
 当然のことながら、7月末にワールドユースデーの大会が予定されていたブラジルが最初の訪問先として予想の筆頭に上がっていた。この世界大会はいつも教皇の臨席が前提となっているからだ。
 他には、教皇が母国のアルゼンチンに戻るかもしれないという見方もあった。前任者の聖ヨハネ・パウロ2世教皇や故ベネディクト16世は、教皇選出後さほど時を経ずに母国を訪れていた。
 驚いたことに、教皇フランシスコの最初の使徒的訪問の行き先は、ブラジルに向かうほんの数週間前に向かったイタリア南部の小さな島ランペドゥーサだった。
 北アフリカのチュニジアから113キロほどの距離にあるランペドゥーサ島は、アフリカから新しい生活を求めて欧州に渡ろうとして、沿岸近くまでたどり着きながら亡くなった数万人の移住者たちの最終目的地だった。
 教皇フランシスコはランペドゥーサ島でささげた悔い改めのミサで、罪もない人々の犠牲を嘆き、「世界全体が方向を見失っている」時に、そうした悲劇への無関心が起こると警告した。
 「父よ、心をまひさせる快楽の中で居心地良く引きこもっている人々について、私たちはあなたにゆるしを願います」と教皇は祈る。「世界レベルの決定によって、こうした悲劇につながる状況をつくり出している人々について、私たちはあなたにゆるしを願います。主よ、私たちをおゆるしください」
 教皇フランシスコが2013年7月8日に行った日帰りのランペドゥーサ島訪問は、88歳で今年4月21日に逝去するまでの12年間の教皇職の方向性をはっきりと示した。

 移住者と難民たちは 「ただの数字ではない

 このランペドゥーサ島訪問は、教皇の使命遂行の始まりに過ぎなかった。それは、広く論争を起こしている移住の問題に人間らしさの感覚を取り戻させることで、特に欧米ではしばしば、イデオロギーや政治的、文化的な断絶にまで至る議論が起こっているからだった。
 教皇フランシスコは、そうした断絶の進行に歯止めをかけようと腐心し、双方の言い分に対して、移住の問題はただ単に政治的、またはイデオロギーや文化の問題ではなく、隣人に対してのいつくしみと愛への促しだと説いた。
 教皇はランペドゥーサ島訪問直後の2013年8月に、教皇就任後初めてのインタビューで、世界で弱い立場に置かれている人についてのビジョンをイエズス会のアントニオ・スパダーロ神父に語っている。
 教皇はこう話す。「私にははっきりと分かります。今日の教会に最も必要とされていることは、傷を癒やし、信者さんたちの心を温める力です」
 教皇が続いて発した言葉は、自身の「行動指針」を示すものとなる。「私は教会を戦いの後の野戦病院として見ています」。話を聞く前に、まず傷を癒やすことだと教皇は付け加え、「そうした後なら、私たちはどんなことについても話せるようになります。傷を癒やすこと。癒やすことです。…まず根本から始めなくてはいけません」
 教皇フランシスコは2023年12月、イタリア共和国各州の知事らとの謁見で、増加する移住者と難民の流入を管理することは「簡単ではない」と認めた。ただ、それと同時に、政治指導者が忘れてはならないことは、自分たちに委ねられているのは、「傷ついた人々、弱い立場にある人々、しばしば道を見失い、悲惨なトラウマ(心的外傷)から立ち直ろうとしている人々だということです」と説いている。
 「ただの数字ではなく、その人たちには顔があります。ただ分類する対象ではなく、抱き締める必要がある人間なのです」

2013年7月8日、訪問したイタリア南部ランペドゥーサ島の港で、移住者たちと話す教皇フランシスコ(CNS photo/pool via Reuters)
  • URLをコピーしました!
目次