教皇、最期まで感謝忘れず 「広場へ連れて行ってくれてありがとう」

【バチカン4月22日CNS】教皇フランシスコの最期の時は安らかで、4月21日早朝、昏睡状態に入る前に、専属のマッシミリアーノ・ストラッペッティ看護師に最後のお別れを伝えることができていた、とバチカンニュースが報じた。
 教皇の最期の言葉の一つは、20日夜にストラッペッティ看護師に伝えた感謝だった。「また広場に連れて行ってくれてありがとう」。聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから復活祭の祝福を送った後、サンピエトロ広場を巡って、人々を驚かせたことを指していた。
 まだ呼吸器疾患からの回復中だった88歳の教皇は、20日の「復活の主日」のミサには臨席しなかったが、正午過ぎに現れて復活祭の祝福を送った。まだ弱々しい声で、教皇は全ての人に「復活祭おめでとう」と語りかけたが、十字架のしるしをする際には腕が上がっていなかった。
 「教皇は最後に一度、人々をあっと驚かせるためにサンピエトロ広場をパパモービレ(教皇専用車)に乗って巡りたかった」のだと22日、バチカンニュースは報じた。それでも教皇は少し不安を覚えて、ストラッペッティ看護師に聞いてみる。「できると思いますか?」
 同看護師は、大丈夫でしょうと答える。同看護師は教皇がローマ市内のジェメッリ総合病院に入院していた38日の間ずっと付き添い、3月23日にバチカンの宿舎「聖マルタの家」に教皇が戻ってからも毎日24時間、病床にある教皇を見守っていた。
 教皇フランシスコは15分間もサンピエトロ広場の中を回ってから、広場に通じる大通りの一部にも出た。約5万人が広場と大通りにあふれていた。教皇は何人かの赤ちゃんを祝福し、手を振ろうと努めていた。興奮した会衆も手を振って応え、場所によっては近くで見ようと教皇に向かって駆け寄る人もいた。
 教皇は退院後、何度か公の場に姿を見せていたが、パパモービレに乗るのは昨年12月にフランス領コルシカ島を訪問した時以来、初めてだった。

 別れの仕草の後  「苦しむことなく」

 バチカンニュースは報じている。4月20日午後に宿舎に戻った教皇は、「疲れてはいたが、満足そうだった」。そしてストラッペッティ看護師に、「また広場に連れて行ってくれてありがとう」と感謝の言葉をかけた。
教皇フランシスコは、午後は休み、穏やかに夕食をとった、とバチカンニュースは伝えている。
 容体の悪化を告げる最初のしるしは、翌21日の朝5時半ごろに現れた。「教皇を見守っていたスタッフがすぐに処置を始めた」という。
 その1時間以上後になって、居室のベッドに横たわっていた教皇はストラッペッティ看護師に手で別れを告げる仕草を見せてから、昏睡状態に陥った、とバチカンニュースは伝える。
 「教皇は苦しむことなく、全てがあっという間に起こった」と最期の時に教皇に付き添っていた人たちは語ったという。
 教皇フランシスコは同日午前7時35分、脳卒中と昏睡、心不全により逝去した、とバチカンは発表した。

4月20日、教皇フランシスコは最後にパパモービレで巡ったサンピエトロ広場で、子どもとあいさつを交わす(CNS photo/Vatican Media)
 
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