平野キミ修道女(ショファイユの幼きイエズス修道会)

5月2日、同会仁川本部修道院(兵庫)で老衰のため逝去。93歳。1931年長崎県生まれ。初誓願後は鹿児島・奄美大島の古仁屋(こにや)信愛幼稚園(当時)の教諭として奉仕した後、名瀬天使園(当時/乳児院)の保育士として幼いいのちへの奉仕にまい進した。70年から6年間、同会福岡修道院の院長として、福岡サンスルピス大神学院で司祭と神学生のために奉仕(以上福岡)。再び名瀬天使園の保育士、園長を務めた後、長崎のマリア園(当時/児童養護施設)、熊本の天使の園保育園、福岡の久留米天使園(児童養護施設)で保育士として働いた。派遣された場での教会奉仕にも力を注いだ。99年に社会福祉の現場を退いてからは、奄美大島の名瀬信愛修道院の院長として、また入来(いりき)修道院の聖堂係としても喜んで奉仕した(以上鹿児島)。2020年から体調を崩して入退院を繰り返すようになり、熊本の西合志(にしごうし)修道院で療養生活を送った。21年4月から仁川本部修道院での療養生活に入り、デイサービスに通いながら祈りの人として生きた。今年2月から急激に衰弱が進んで食事の摂取が難しくなり、脱水症で高熱が続き入院。退院後は在宅訪問医療を受け、介護職員と姉妹たちの祈りに支えられ、病者の塗油の秘跡にカ付けられて、最後の苦しみの時を祈りのうちにささげ尽くした。

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