■ 菊地功枢機卿(日本カトリック司教協議会会長/東京教区大司教)
「わたしたちは愛といつくしみに満ちた力強い牧者を失いました。初めての南米出身の教皇として、2013年から十年以上にわたり、これまで手をつけられることのなかったバチカンの機構改革や、第二バチカン公会議の成果を踏まえた教会のシノドス性(ともに歩むこと)の推進など、力強く教会を導かれた教皇フランシスコの逝去に際して、深い悲しみのうちに、わたしたちの希望の源である御父のもとでの永遠の安息を心よりお祈りいたします」。(4月21日発表の文書「教皇フランシスコの逝去に際して」から抜粋。全文はhttps://www.cbcj.catholic.jp/2025/04/21/31935/。)
■ レンゾ・デ・ルカ神父(60/イエズス会/教皇フランシスコの教え子で、教皇訪日時の通訳)
知らせを聞いた時はショックでした。その数時間前に、バチカンのバルコニーで祝福を送る姿を(動画で)見ていましたから、誤報だと思ったほどです。逆に言えば、最期までご自分の使命を果たして亡くなった。素晴らしい最期でした。
彼は教皇になる前から心が広く、人をありのままに受け入れる方でした。人と会うことを非常に大切にして、それを楽しむ方でした。2019年の訪日の時の厳しい日程の中でさえ同じでした。中でも長崎や広島に行くことなどは本当に楽しみにして、実際に喜んでいました。
教皇様は第2バチカン公会議の精神を継いで、聖職者主義の教会が、私たち「神の民」全員の教会となるよう行動しました。特に晩年のシノドス(世界代表司教会議)には、初めて司教以外の人たちが積極的に参加しました。その流れが今後さらに発展していけば素晴らしいと思います。
■ 西村桃子さん(49/セルヴィ・エヴァンジェリー宣教会/シノドス〈世界代表司教会議〉議長代理)
ご自身の老いも弱さも全てを見せて、復活祭の翌日に亡くなるという、素晴らしい最期だったと思います。「人間はこのように生きて死ぬのですよ」ということを見せてくださったのかと思いました。
シノドスの議長代理として、隣で一緒に働かせていただいたことは一番の思い出です。教皇様は、シノドスが「ともに歩む教会」を目指して開かれていること、それに向かう各会議の目的を明確に自覚して参加しておられました。一人一人の話を、祈りのうちに、頭も心も使ってお聞きになり、その上で発言しておられたことが強く印象に残っています。 これからは教皇様の遺志を継いで、ともに歩む教会づくりを日本で皆さんと一緒にしていきたいと思います。まずは2028年の教会総会までが一つの実施期間になります。
■ 「知足庵」世話人前代表 金澤弘子さん(87/福島・白河教会)
私は福島第1原発事故によって、「原発は人間のいのちと共存することができない」と痛感し、2014年、祈りを中心に、自然の中で〝昔暮らし〟をする場「知足庵」(福島)を開きました。これはイエスに倣う「足るを知る貧しき者としての生活」を通して、一人一人が原発災害などをもたらしてきた人間の罪に気付き、人間性を取り戻していくための家です。
いま心に浮かぶのは、19年の教皇訪日公式行事「東日本大震災被災者との集い」(東京)でパパ様と対面した時に頂いた「あなたができることを続けてください」という言葉です。パパ様に励まされ、これからも生活を通して回心して(神に立ち返って)いきたいと思います。
■ 青年 高山創(はじめ)さん(24/広島・観音町教会)
教皇様との出会いは、2019年の教皇訪日公式行事「青年の集い」のほか、上智大学での集い(ともに東京)、そして23年のワールドユースデー(WYD/世界青年の日)リスボン大会でした。感情も出して話す教皇様は身近に感じられる方ですが、(福音を伝えるために)世界中、どこへでも出向いて行かれ、キリスト者が見習うべき存在でもあります。
今春、社会人になった今の私にとって「出向いていく」場は二つあると思っています。一つは職場。自分のキリスト者としての生き方を見せることで、信仰を表すことができたらと思います。もう一つは青年活動。今までは〝参加する側〟でしたが、今年は、各教区の青年主導で年に2度行われる「ネットワークミーティング」(NWM)の次回、9月の東京での集いで代表を務めます。青年として、教会とどう関わっていくか考えていきたいと思います。

会場を去る教皇フランシスコと、その通訳を務めたレンゾ・デ・ルカ神父。