憲法の視点から安全保障や平和を考えるための講演会が1月31日、東京・千代田区の麴町教会・ヨセフホールで開かれた。同教会で、いのちや人権、平和をキリスト者として伝えるための活動をしている信徒グループ「メルキゼデクの会」が主催し、40人余りが参加。憲法の研究者であり、学習院大学専門職大学院法務研究科教授の青井未帆さんが講師を務めた。青井さんは講演の冒頭、「個人的には、人権や平和を考えるのは市民の務め、キリスト者の務めだと思います」と話した。
平和を鍛え直す
現在、世界各地に武力紛争があり、年頭には米国によるベネズエラへの攻撃があった。日本においては「台湾有事」という言葉がたびたび使われるようになり、1月下旬には、政府・与党が有事の際、自衛隊が長期間戦い続けるために必要な弾薬の安定供給のために、軍需工場を国営化し、民間企業に委託して、弾薬を生産することを検討していることが報じられている。
日本国憲法は第9条で戦争放棄をうたい、「平和憲法」とも呼ばれるが、2014年に「武器輸出三原則」は「防衛装備移転三原則」に転換され、安全保障の枠組みが変えられてきた。
青井さんは「武器輸出三原則の下、我が国が作った武器で人が殺されるのは平和国家としておかしい、ということは少し前まで言われていたのではないでしょうか」と、憲法の視点で安全保障が議論されることが少なくなってきている現状を指摘した。そして「ここ数年、平和があっという間に壊されることを私たちは見てきています。私たちは平和を鍛え直す必要があるのではないでしょうか」とも問いかけた。
「身体性」で人権を考える
青井さんは「警察」と「軍隊」の違いをこう説明する。
「伝統的な理解では、警察は秩序のある市民社会の中で行動します。市民社会の中で犯罪が行われたら、警察官がそれぞれ合法性を判断して逮捕することができます。軍隊は、軍人一人一人が考えて行動することはしません。軍人が自分で考えると弱い軍隊になってしまいます。上官命令に従い、塊であるが故に強い行動ができるのです。敵戦闘員の殺傷までできてしまいます」
政府は自衛隊の性格を「警察」だと説明してきたが、今ではその境界が曖昧になり、いつの間にか軍隊の一歩手前まで来ているのではないかとも指摘。
そして人権を考えるには、人間が有限の肉体を持ち、誰かとの関係性がなければ存在できないこと、すなわち「身体性」を大切にするべきではないかと話した。
例えば有事の際、自衛隊が実際に軍事力を行使するならばそこに人は存在しない想定で行われると青井さんは説明した。市民の身体を守るのは地方公共団体の警察や消防の役目であり、自衛隊の任務は「国防なので、そこに人(自国民)はいない(想定だ)からこそ敵戦闘員を殺傷できるのです」。
2022年に策定された安全保障に関する3文書のうちの一つ、「国家安全保障戦略」の冒頭には「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」と、国民に相当の覚悟を求める文言が書かれている。国民が我が事として有事を考えるよう促しているのだ。
青井さんは、この「国民の決意」という言葉をきっかけに、互いの関係性の中で自分の良心に従って生きている私たちが、勝手にその関係性を奪われない状態が平和ではないかと思うようになったと話した。
メルキゼデクの会の会員の岡橋慶治さん(41)は、「私たちは不完全な人間ですが、助け合い、支え合いながら生きる関係性を守らなければならないと思いました」と、感想を述べた。

