広島教区に続き、長崎教区(中村倫明〈みちあき〉大司教)は浦上教会(長崎市)を中心に8月8日から10日まで平和行事を行った。広島を訪問した米国からの巡礼団も各行事に加わり、共に祈りと対話の時を持った。
今年は被爆80年であると同時に「希望の巡礼者」をテーマとした聖年に当たる。原爆が投下された9日は原爆犠牲者追悼ミサと平和祈願ミサ(→関連記事)がささげられ、翌10日に行われた「ともに歩む平和の巡礼者の集い」では被爆者や青年、大学関係者がそれぞれの立場から平和への思いを語り、対話に挑んだ。また信徒らは8日の夜8時から9日夕方まで、夜を通して「聖体の永久礼拝」を行った。
「平和」という勇気を持つ
原爆がさく裂した9日午前11時2分、浦上教会の二つの鐘楼から、祈りの時を告げる鐘の音が聖堂内外に鳴り渡り、原爆犠牲者追悼ミサが始められた。先月17日、北側の鐘楼に収められた小鐘が鳴るのはこの日が初めてだった。(→関連記事)
追悼ミサを司式した山村憲一神父(同教会主任/長崎教区)は、被爆80年の節目となるこのミサに集まった約350人の信徒らに、説教でこう呼びかけた。
「被爆体験を持つ被爆者がいなくなっていっても、過去を振り返り続け、将来が真の平和となるための責任を担う決心を新たにしなければと思います」
そして聖エジディオ共同体の信徒らが、ニューヨークとローマ、同教会の小聖堂をインターネットで結び、8月6日から8日まで75時間の聖体礼拝を行ったことを紹介した。同共同体は1968年にローマで創立されたキリスト教共同体で、貧しい人々への奉仕や平和の実現のための活動をしている。同共同体の祈りは、8日の晩から浦上教会で続けられている聖体の永久礼拝につながるものであることを山村神父は説明し、祈り続けることの大切さを強調した。
ミサに参加した西町教会(長崎市)の鳥巣洋次郎さん(72)は、教会が原爆の記憶を忘れないだけでなく「イスラエルとガザ、ロシアとウクライナの戦争、内戦をしている国もあるので、長崎の教会も少しでもいいから世界的な視野を持つ必要があると思いました」と話した。
妻のシオリさん(74/同教会)は、世界各地で終わることのない戦争があり、絶望的になることもあるが「諦めず祈り続けることが大事だと思うごミサでした」。


爆心地公園まで共に歩んだ被爆マリア像
9日夕方の平和祈願祭のテーマは、「パーチェ!パーチェ!Pace!」(「Pace」はイタリア語で「平和」の意味)。心から平和を願う教皇レオ14世のメッセージを受け止めるための「叫び」を表している。(→平和祈願ミサの詳細は関連記事)
平和祈願ミサで共同司式した山口雅稔(まさとし)神父(54/コンベンツアル聖フランシスコ修道会)は、「今回の典礼では(駐日教皇庁大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教があいさつの中で話した)『平和という勇気』という言葉が印象に残りました」。キリスト者として、勇気を持って平和を選択することの重要性を感じたという。
中野里晃祐(なかのり・こうすけ)神父(54/同会)は、「たくさんの方が浦上天主堂(浦上教会)を埋め尽くして、教会が一つになっていると感じました。アメリカの司教様方がたくさん来られて、被爆した長崎の街と教区民にとても温かなメッセージをくださったのがうれしかったです」。
ミサに参加し、たいまつ行列で爆心地公園まで歩いたベネズエラ出身の愛川かいるさん(26)は、長期の休暇を取り、時間をかけて長崎を旅してきた。「初めて浦上天主堂でミサに参加しました。(中村大司教の)説教が心に響きました。ぜひ、英語やスペイン語に翻訳してほしいです。私もイエス様と同じ(平和の)道を歩きたいと思いました」と感想を話した。
共に歩む平和の巡礼者たち
浦上教会で10日に行われた「ともにあゆむ平和の巡礼者の集い」には、米日の司教、被爆者、米日のカトリック系大学と長崎のプロテスタントの大学の教職員・学生、長崎教区の青年ら150人余りが集い、それぞれの体験や平和への思いを語った。
米国からの巡礼団の一人、ニューメキシコ大学准教授のミライア・ゴメスさんは、米国政府が行った核実験や核開発の影響で、自身の親族を含む多くの人々が被ばくした事実を話した。ニューメキシコ州には原子力関連施設や産業があり、多くの税金が投入されている(→関連記事)。
「私は希望の巡礼者としてニューメキシコから日本に巡礼に来ました」
ゴメスさんはこう話し、続けて日本の被爆者が書いた本を読んだこと、米国で実施された核実験の歴史や、実験で生じた放射性物質が人体に深刻な被害を与えたことを説明した。
髙見三明名誉大司教(長崎教区)はじめ3人による被爆体験、米日学生が行った対話の報告と共同声明の発表(→関連記事)、長崎地区の青年代表による平和への取り組みが話された後、米日の大学6校の学長らが登壇。平和構築における大学の役割や、対話を続けることの重要性について意見を述べた。
閉会に当たり、米国サンタフェ教区のジョン・ウェスター大司教が、今回の広島・長崎の巡礼をこう振り返った。
「核兵器(がこの世に与える影響)のひどさは、そこに(被害を受けた)個人の顔が浮かぶようになると、全く違う意味を持つということを、この1週間で学びました」
そして「核の問題を話すことは、砂漠の中で一人で声を上げ続けるような、非常に孤独な闘いだと感じる人は多いと思います。しかしこの1週間、多くの人と時間を過ごして、そうではないんだと感じられたことは神様のお恵みです」と語りかけた。参加者たちはそれぞれの思いを胸に祈りをささげ、閉会した。
集いで長崎教区の青年活動について発表したグループのリーダー、川原匠(たくみ)さん(32/長崎市・城山教会)は、「戦後80年という節目もありますが、アメリカをはじめ海外からもたくさんの方が巡礼に来てくれました。長崎の被爆者やその家族と祈りを共にしてくれたことはありがたいですし、日本の中でも原爆に対する意識が違う中で、外国から同じ思いで来てくれたのはうれしいことでした。『平和を実現したい』と心から思いました」と3日間に及んだ平和行事を振り返った。
