広島に原爆が投下されて80年となった8月6日、米国、韓国、日本の司教たちが約200人の信者と共に、広島市の世界平和記念聖堂で「原爆とすべての戦争の犠牲者のためのミサ」をささげた。原爆投下時刻の8時15分には聖堂の鐘が鳴り響き、参加者は共に黙とうをささげた。
8月6日は毎年、「主の変容」の祝日に当たる。説教を行ったシカゴ教区のブレーズ・スーピッチ枢機卿は「主の変容の祝日の意味は、80年前の今日、永遠に変わってしまいました」と話した。

この日のミサで読まれる福音書の記述は、タボル山でイエスの顔の様子が変わり、服が白く輝いてイエスの栄光の姿を示したことを伝える。弟子たちは「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声を聞く。
しかし1945年8月6日、「それとは種類の違う光」が輝き、「破壊、暗闇、死」をもたらしたとスーピッチ枢機卿は語る。「前例のない脅威」が生み出され、空から落ちた爆弾が「想像を絶する規模の人間の苦しみと絶望を告げました」
スーピッチ枢機卿は前教皇フランシスコが広島で話した「三つの倫理的義務」を思い起こす。その三つとは「思い出す」こと、「ともに歩む」こと、「守る」こと。これらが何を意味するのか、「主の変容」の福音が、理解するヒントを提供していると話した。
「思い出す」ことには、まず広島で起こった出来事を決して忘れないようにすることだとスーピッチ枢機卿は語り、記憶を語り継いだ被爆者たちに感謝と敬意を表した。同時に、福音は「神が与えてくださった救いの計画」も思い出させる、とスーピッチ枢機卿は説く。「その計画は(中略)、人の子イエスに支配権、栄光、王権が授けられ、全ての民、民族、言語が一つに結ばれるその日へと向かっているのです」
「ともに歩む」ことについては、互いに和解と平和の道具となるよう助け合う時、「私たち」は共に繁栄する、とスーピッチ枢機卿は説く。「私たち」は、自己中心的な利益追求やナショナリズム(国粋主義)、対立を招く競争、分断した忠誠心を脇に置いて、「誰も置き去りにされず、見落とされないように、ともに一歩ずつ進みます」と続け、この「シノドス的(ともに歩む)教会」になるための旅において、「私たち一人一人は、神が私たちに望まれたものとなるために前へ進んでいるのです」と述べた。
「守ること」については、互いの安心と安全が保障されることに関わっている。福音書でペトロは、天幕(仮小屋)を作って「自分の安全と快適さを確保しようとした」が、それでは不十分だとスーピッチ枢機卿は指摘する。「むしろ、一緒に恐れおののいているときこそ、彼らは神の現存という保護の雲に包まれるのです。(中略)この私たちを守ってくださる神の現存こそ、私たちの希望の源です」
スーピッチ枢機卿は、悲惨な出来事から80年目を迎えたこの朝、神が用意してくださったビジョンを「私たち自身のもの」とするよう、招かれていると話す。「私たち」は80年前に命を落とし、苦しみを受けた全ての人のために祈ることでそれを果たし、また「ともに歩みながら、人間の深い知恵という資源を活用して、今度こそは、互いに守り合い、持続可能な平和への新たな道を創造することによって、それを果たします」と語った。
ミサの動画は、広島教区のウェブサイト「動画コーナー」で視聴できる。
