1942年、山口県宇部市の長生炭鉱で水没事故(水非常)が起き、朝鮮人136人と日本人47人の合計183人が犠牲となった。その遺骨は83年たった今も海底に眠ったままだ。日本基督教団宇部緑橋教会に事務所を置く「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下「刻む会」)は4月1日から4日まで、水中探検家、伊左治(いさじ)佳孝さんによる第3次「遺骨潜水調査」を実施。1日と2日には韓国から2人の水中ダイバー、キム・スウンさんとキム・キョンスさんも参加して初の日韓合同大規模調査となった。

左から伊左治(いさじ)佳孝さん、キム・スウンさん、キム・キョンスさん
水没事故が起きたのは、アジア・太平洋戦争(1931~45年)中の軍需物資の増産体制の下、石炭の生産が強く求められた時代だ。長生炭鉱は、法定基準を満たさず、海上の船の音が聞こえるほど浅瀬の炭層を掘る「違法採掘」をしていたため、坑内の天井から度々水漏れを繰り返し、地元でも「危険な炭鉱」として知られていた。そのような危険な炭鉱で働かされていたのが、朝鮮半島から連れてこられた人々だった。朝鮮人たちは、鉄条網が張り巡らされる捕虜収容所のような宿舎に監禁され、脱走して見つかれば、激しい拷問を受け、死者も出たという。
42年2月6日の事故当日は、石炭の「大出し日」だった。坑道の天井を支える「炭柱」までも払いのけたことで、2~3日前から水漏れがあり、それでも掘削を優先したため「人的災害」が起き、183人の死者を出したのだ。
今回は、初の日韓合同の遺骨潜水調査となったが、第2次潜水調査(今年1月31日~2月2日)と同様に、坑口から海に向かって265メートルの所まで進んだ。遺骨があると思われる330メートル地点まであと65メートルの所だったが、障害物があり直進できなかった。そこで3日間にわたり障害物を避けるための抜け道や側道を探したが見つけることはできなかった。
3人のダイバーたちは命懸けで調査を行い、手探り状態で長生炭鉱の構造を把握しようと努めているが、木と土で造られた坑道は83年たっており、伊左治さんによれば、「今壊れてもおかしくないほどの状態」だという。そのため今後は別ルートで遺骨があると思われる場所に近づくことが求められている。
これまで「刻む会」では、クラウドファンディングで集まった寄付金で、長生炭鉱の本坑道の坑口を開ける大規模工事を行い、潜水調査等を行ってきた。市民の力を結集しても、遺骨を発見するまでには、今後も莫大(ばくだい)な費用と時間がかかることが分かってきた。
「刻む会」は長年、日本政府に対して遺骨発掘調査を求めてきたが、政府はこの海底炭鉱水没事故の犠牲者の遺骨収容について、「海底のため遺骨の位置・深度が分からないため現時点では調査は困難」と回答し、その方針を今も変えていない。
4月22日には、「政府との意見交換会」が衆議院第1議員会館国際会議室で開かれる。「刻む会」としては、今後の潜水調査を政府の責任において進めてほしいと訴える予定だ。

写真中央は海底炭鉱の坑道につながる入口(坑口)