受刑者とともに捧(ささ)げるミサ 共に主の降誕を待ち望む 東京

 「受刑者とともに捧(ささ)げるミサ」が12月13日、東京・千代田区の麴町教会で行われ、元受刑者やその家族、友人、関心を寄せる人たちなど約60人が参加した。イエズス会社会司牧センターが主催し、日本カトリック正義と平和協議会とNPO法人「監獄人権センター」が共催、協力した。
 今回のミサの主司式は、教誨(きょうかい)師としても活動している山下敦神父(大分教区)が務めた。山下神父はミサ説教の中で、毎月訪問している大分の刑務所のことを振り返った。訪問時にはカトリック教会の要理と聖書について話しているが、そこにいる20代から70代の男性(受刑者)が、「一言も聞き漏らすまいと必死で、目を輝かせて聞き入っている」という。「そこでは、おそらく外のどんな場所よりもイエス・キリストが待ち望まれている感じがします」
 神が貧しさの中に生まれることを選んだのは、「この世で最も貧しく、孤独で、痛みと苦しみを背負う人と一緒に歩むためです」と山下神父は話す。
 一方、今は「クレーム(苦情・不満)社会」と言われるほどクレームが横行しているが、クレームは相手への理解や共感より自分の判断と裁きを押し通す暴力的な一面を持っていると指摘。神がどんな時にも「私たちと一緒にいるために人となられた」ことを思うと、「苦しんでいる人に共感とその(神の)愛を示すことが、全ての人々、全人類にとって今、とてつもなく重要なことだと思います」と語った。

 聖書の言葉 「いいな」と思えた

 ミサは待降節第3主日の典礼で、第2朗読は使徒ヤコブの手紙が読まれた。参加した、受刑経験のある一人の信徒は、そこに書かれた「忍耐しなさい」という言葉が心に残ったという。「昔は、『こんなに忍耐してきたのに』と思ってこの言葉が嫌いだった。でも今回は励まされる言葉に感じました。聖書の言葉っていいなと思えました」と話した。
 死刑廃止の活動などに関わってきたという中山晋(すすむ)さんは、12月9日に開かれた「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク主催の「死刑執行停止を求める諸宗教による祈りの集い」にも参加した。信者ではないが、ミサは、その集いとは違う雰囲気で好きだと話す。聖体拝領の時には行列に並んで司祭から祝福を受けた。
 この集まりに長く関わってきたヌヴェール愛徳修道会の柏木慶子修道女は、参加者が少しずつ変化していることに広がりを感じたと話す。多様な人たちが神の前に集う機会となり、それは教会が向かっている「シノダリティー」(共に歩むこと)の一つの姿と感じたと話していた。
 「受刑者とともに捧げるミサ」は、前教皇フランシスコが、「いつくしみの特別聖年」を祝った年(15年12月8日~16年11月20日)に、受刑者やその家族、また刑務所の内外で受刑者の支援に携わっている全ての人のために祈るよう呼びかけ、日本でもそれに応えたことが始まりだった。通常聖年の今年、教皇レオ14世も12月14日に「受刑者の祝祭」のミサをささげている。
 今回、主催したイエズス会社会司牧センターの柳川朋毅(ともき)さんは、このミサで「心を合わせて祈ってくださる方々がいることがありがたかった」と話す。同時に、このテーマがまだ教会の中で理解されにくいことだと思うと言う。 
 「カミングアウト(公表)していないけれども、実は元受刑者だという人は小教区にもいるかもしれません。そういう人々にとっても教会が居場所になればと思います。こうした試みが、少しでもその後押しをするものになればと願っています」

東京・麴町教会マリア聖堂で行われた「受刑者とともに捧げるミサ」。主司式は山下敦神父(大分教区)
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