心静まる礼拝体験 聖書の世界へ エキュメニカルな「子どもと礼拝」プログラム
聖書物語に耳を傾け、イエスら登場人物をかたどった「フィギュア」も用いながら、ゆっくりと聖書の世界に入っていく―。そんな礼拝体験へと導く、子どものためのプログラムがある。米国のキリスト教教育学者が提唱した「子どもと礼拝」だ。
子どもたちを「一対一で神と出会う」ことのできる存在として見る、モンテッソーリ教育をルーツに持つプログラム。
日本ではプロテスタント諸教派の牧師や信徒らが2004年に「子どもと礼拝の会」を発足させた。「子どもと礼拝センター」(横浜市)では、子ども向けの礼拝のほか、導き手の養成を実施。大人を対象にした礼拝も定期的に行われ、エキュメニカル(教会一致運動的)な祈りの場となっている。
3月30日、同センターで行われた「大人のための礼拝」を取材した。プログラムの様子と、参加者らの声を紹介する。

丁寧に、ゆっくりと
「子どもと礼拝」とは、子どもがいま持っている感性や動作スキルを用いて、「全人格で神と出会う礼拝体験」を目指すエキュメニカルなプログラムだ。
提唱したのは、米国のキリスト教教育学者でプロテスタントのソーニャ・スチュワート博士(1937-2006)。
博士は、子どもを「将来を担う存在(今は脇役)」などと見る〝文化〟が教会共同体の中にあると感じ、長年疑問を抱いていた。だが「いま、ここにいる」子どもの霊性に注目する、イタリア発祥のモンテッソーリ教育を継承するカトリックの宗教教育学者らとの〝出会い〟に打開の道を見いだす。ジェローム・ベリーマン(聖公会)と共に、「子どもと礼拝」の教本『ちいさな子どもたちと礼拝』を完成させた。
「子どもと礼拝の会」世話人のブラウネル・のぞみさん(米国改革派教会宣教師)は、幼い子どもも礼拝の中で心の静まりを感じ、知識のみによらない「豊かな想像力」によって、聖書の世界に導かれていくと話す。
復活祭(今年は4月5日)を前に、3月30日に行われた「大人のための礼拝」では、イエスの受難、死と復活の出来事が語られた。カトリック信徒2人を含む8人が参加した。
プログラムはスチュワート博士らの教本に基づき、①準備②聖書物語を聞き、応答する(思い巡らす)③「お祝いのごちそう」(聖餐〈さん〉)④派遣―という四つの要素から成る。
センターの礼拝環境も、博士が生前、米国に開設した礼拝施設に忠実に倣ったものだ。会場はカーペット敷き。物語は床で実演されるため、大人の出席者も床に座って子どもと同じ目線で参加することが奨励される。部屋の壁沿いには、聖書を物語る際に動かすフィギュアや教具などを丈の低い棚に並べている。

ブラウネル・のぞみさん
導き手のブラウネルさんはまず床に正座し、「皆さん、ようこそおいでくださいました」と、招きの言葉を述べた。
礼拝の準備として、「私たちが今いるこの場所」は「目には見えないけれども、本当におられるただ一人の神様と(共に)時間を過ごす特別な場所」であり、「私たちは全然、急がなくて大丈夫なのです」と続けた。
参加者はブラウネルさんに倣ってゆっくりと深呼吸を行い、静かな調子の賛美歌をささげてから、二つの聖書物語(マタイ26章と27章参照)を聞いた。
私も、裏切った
一つ目の物語は、「イエスの裁判」。ブラウネルさん(以下、導き手)は茶席で亭主が一連の作法にのっとって客をもてなす時のように背筋を伸ばし、1メートル四方ほどの茶色のフェルトのシートをゆっくりと床に広げて見せながら、「ここは、エルサレムです」と厳かに告げた。
導き手はシート上に大祭司カイアファの邸宅を表すフェルトの枠を置くと、その中に律法学者や長老たちのフィギュアを置き、最後に、人々に捕らえられ、連れてこられたイエスを置いた。フィギュアと、導き手による短い語りとで、その場のイエスを死刑にしようとする人々の言動を表現した。

参加者もいた。写真はカイアファの邸宅
で人々がイエス(中央)を糾弾する場面
さらに神殿を表す木製のモチーフの前にユダのフィギュアを置き、イエスを裏切ったことを悔やんだユダの物語を語った。
そこで参加者に、「なぜユダは自分で自分を殺してしまったのでしょう?」などの質問が投げかけられた。登場人物の思いを想像し、物語を参加者自身の経験として思い巡らすための質問だ。

沈黙のうちにゆっくりと神殿の裏(写真奥)に動かした
参加者は、導き手が床に広げた教具類を一つ一つ片付けていくのを見届けた。その上で思い巡らしの時間が取られ、神への応答として、心に浮かんだことを書き出した。
参加者はまた、二つ目の「イエスが死んで、神様がイエスをもう一度生きるようにされる」物語にも耳を傾けた。

感じさせる鮮やかな緑色のフェルト上で繰り広げられた
参加者はこの日読まれた物語の聖書箇所に耳を傾け、各自、沈黙のうちに感謝の祈りをささげた。
礼拝は「平和のうちに出ていきなさい」という、導き手による派遣の言葉により1時間半ほどで終了。その後、皆でお茶を飲みながらこの日の礼拝体験を分かち合った。
「子どもと礼拝」に参加するのは2度目という東京・下井草教会のYさん(53)は、このプログラムで体験する心の静けさが印象深いと、この日の感想をこう話した。
「ユダは悪い人だと思っていましたが、今日は私もイエス様をたくさん裏切ってきたことを思い起こしました。そして、それでもイエス様は私を愛してくださったことに気付きました」
聖霊が子どもに働く
前掲のYさんに「子どもと礼拝」を紹介したKさん(65/同教会)は、カトリック幼稚園でプログラムを実践してきた経験から、その効果を実感していると、次のように語る。
「幼い子どもでも聖書の物語に入ると心が静まり、満たされていくのが分かるのでしょう。モンテッソーリ教育の言語教育に『移動50音』というのがあって、まだ字を書くことができない子どもたちが、ひらがなのカードを置くことによって〝書く〟体験をします」
それと同じように、「子どもと礼拝」では聖書を読むのがまだ難しい年齢の子どもが、フィギュアを動かすことによって〝聖書を読む〟ことになる。
「私は園の宗教教育を補助するものとして(隣接する)教会の聖堂でプログラムをさせていただいていますが、自分でもやってみたい子は、後日他の場所を設けると喜んで参加してきます。沈黙のうちにフィギュアを動かし、聖書を体験している子どもたちを見て、『聖霊は子どもたちにダイレクトに(直接)働いているのだ』と、私は感じています」
Kさんは、今春小学2年生になる卒園生のエピソードにも言及した。その卒園生は卒園後、カトリック教会の日曜学校に通い、小学1年の時、司祭に「洗礼を受けたい」と自ら申し出たという。
「『親御さんが信者でないので(授けられない)』と言われ、本人はしばらく落胆していたといいます。でも『私には神様がいる』と、受洗への決意をはっきりと親御さんに伝え、親御さんはものすごく驚いた(感銘を受けた)ということでした」
待っておられる神との出会い
ブラウネルさんによれば、世話人らは当初、プログラムを広く宣伝することも考えたという。だが最終的には、少しずつであっても実践する場をつくることに力を注ぐことにした。全人格的に神と出会う礼拝は、「体験するもの」からだ。
「子どもと礼拝」では、大人が愛情と尊敬をもって子どもに語りかける時のような、優しくゆっくりと語られることばを聞く。
「ここでは〝背伸び〟をする必要がありません。大人でも『子ども向けの話なら聞きやすい』という人がいます。神様が私に望まれるのは(私を離れた)突飛なことではありませんね。このプログラムは、私の一番深いところで私の応答を待ってくださっている神様と出会うためのものです。皆さんそれぞれ、心の静まりのうちに聖書の物語(神からの言葉)をまっすぐ受け止めるので、『では、自分には何ができるのか?』という思いになるようです」
センターには、神との交わりを体験したい人、教会学校や幼稚園で子どもの信仰教育に携わる人、自身の家庭で子どもと礼拝のプログラムを実践したい人らが教派や宗派を超えて集う。中には発達障害のある人に奉仕するビジョンを持つ人もいるという。
「皆が一つになる、エキュメニカルな礼拝の場になっていると思います。自由な心で神様からの召命を受け止め、各々の場で応えていらっしゃると感じています」(ブラウネルさん)

施設「グリーンハウス」内に置かれている。同施設は米国
改革派教会が日本の青少年宣教を支援するために建てた
