震災から2年 「能登半島被災地巡礼」 カリタスのとサポートセンターが実施

 名古屋教区(松浦悟郎司教)が運営するカリタスのとサポートセンター(金沢市/センター長・片岡義博神父〈同教区〉)は、昨年12月31日から今年1月1日まで「能登半島地震被災地巡礼」を行った。各地からの参加者9人と松浦司教やスタッフを合わせ、計16人が震災から2年になる被災地を訪れ、共に祈った。
 震災から1年の節目に行った前回の巡礼に続く、2度目の企画。
 初日は石川県輪島市を中心に被災地の視察などを行い、元日の午前は輪島教会(同市)でミサをささげた。
 一行は同日午後に七尾教会(同県七尾市)でミサをささげた後、隣接する聖母幼稚園(同市)の前で行われる「ついたちの祈り、ついとうの祈り」(のとサポートセンター主催)に参加した。

 〝能登半島を一周する〟国道249号

 前回の巡礼との違いは、主に2点あった。一つは、宿泊場所が同サポートセンターの七尾ベース(ボランティア拠点/七尾市)や羽咋(はくい)ベース(同県羽咋市)に代えて、昨年9月に開設された輪島ベース(輪島市)になったこと。もう一つは、輪島入りするルートの変化だ。
 昨年は、金沢教会(金沢市)を出ると、能登半島の内陸部を北へ向かう「のと里山街道」を通り、道路の陥没など震災被害の大きさや、復旧工事の進捗(しんちょく)状況を見ながら輪島に向かった。だが今回は金沢を出た後、半島の西沿岸部を走る国道249号線を北上して輪島を目指した。
 ガイド役を務めた片岡神父によれば、「国道249号線は、能登半島をほぼ一周するようにして輪島市、珠洲(すず)市、そして七尾などの被災地を通っている幹線道路」だ。
 一行は、半島西側の羽咋から249号線に入り、その後、北陸電力・志賀(しか)原子力発電所(同県羽咋郡志賀町)のある志賀町を通って北へ向かった。志賀原発は2年前の地震で施設の一部が故障し、大きな原発事故につながることが懸念された原発だ。
 輪島市西部に入ると、古くから曹洞宗の大本山である總持寺祖院を中心に発展した門前(もんぜん)町へ。門前町は、のとサポートセンターが今後、カフェ活動を行うことを予定している町だ。

総持寺に立ち寄った巡礼者たち
(©カリタスのとサポートセンター)

 そして一行は、地元の人たちが今、復興を強く感じる場所の一つである「中屋トンネル」を通って輪島市中心部に向かった。
 中屋トンネルは「震災前、能登半島西部から輪島市中心部に行くための唯一の主要ルート」だった。しかし24年元日の地震で崩れ、さらに開通を目前に控えていた同年9月の記録的豪雨のため、再び不通となる。開通したのは、25年夏だった。
 「能登の方々は地震に加え、豪雨によっても心を打ち砕かれてきましたが、『(トンネル開通で)移動が本当に楽(らく)になった』と、復興を実感しておられます」(片岡神父)
 輪島市中心部では、25年4月に公費解体を終えて以降、今もさら地のままになっている朝市通りを訪れた。周辺にも、さら地のままの土地が点在していた。

輪島の「朝市通り」は2025年春に公費
解体を終えたが、今も更地の状態が続く
(©カリタスのとサポートセンター)

 大みそかの夜、巡礼者たちは輪島教会の食堂で鍋を囲み、歓談した。
 食後は、真っ暗になった聖堂の祭壇の前にろうそくの火をともし、松浦司教が奏でるギターに合わせてテゼの祈りをささげた。

輪島教会で迎えた大みそかの晩、祭壇
前の幼子イエスの像の前にろうそくを
置いてテゼの祈りを歌う巡礼者たち(©
カリタスのとサポートセンター)

 そして日付が変わる頃、2年前の震災で被災した重蔵(じゅうぞう)神社を訪れた。重蔵神社は、輪島ベースの支援先の一つで、同神社が地域住民のために行う支援物資の配布会などを支援してきた。この晩、同神社にはベースが協働している複数の支援団体の代表者も来ており、巡礼者も支援者らと共に新しい年を迎えた。

輪島ベースが日頃、協働している支援団体
の人らと重蔵神社に集い、一緒に新しい年を
迎えた(©カリタスのとサポートセンター)
 能登の人々のできるだけ近くに

 元旦は、輪島教会で松浦司教主司式により、同教会の信徒たちと共に神の母聖マリアのミサをささげた。
 松浦司教はミサ説教の冒頭、輪島教会が再建されていなかった昨年は、隣接する海の星幼稚園のホールを借りてミサをささげたこと、そして昨年9月に再建され、共同体が共に祈る場ができたことに言及。併設されたサポートセンターのベース(ボランティア拠点)を通して共同体が豊かになっていくようにと、信徒たちを励ました。

輪島教会でのミサ後、輪島教会の信徒と巡礼者たち

 ミサ後、珠洲市を経て七尾教会に向かい、同教会の信徒たちと共にミサをささげた。
 「ついたちの祈り・ついとうの祈り」では、地元の人も交えて、犠牲者や大切な人を失った人たちのために祈った。

ついたちの祈り・ついとうの祈り
(©カリタスのとサポートセンター)

 松浦司教は初め、約1週間前のデータを基に、能登半島地震による人的被害について触れた。直接死が228人であるのに対し、関連死はその倍以上の475人であることを紹介し、亡くなった方や、その家族を思いながら祈りたいと話した。
 午後4時10分、防災無線を通じた鐘の音で発災時刻が告げられると、一同、黙祷(とう)をささげた。
 「祈願の炊き上げの祈り」も行った。この祈りは、集いに参加した子どもや大人がこの1年間に書いてきたそれぞれの思いや祈りの言葉を火にくべて、神にささげるもの。
 松浦司教は、これら一つ一つの祈りは、「悲しみの中から絞り出された叫びであり、言葉にならなかった嘆きであり、それでもあなたを信じ、希望を手放すまいとした私たちの小さな祈りでした」と、一人一人に寄り添った。そして、「主よ、あなたは(私たちの)言葉にできなかった思いも、涙と共にささげた沈黙も全てをご存じです」と述べた。
 片岡神父は、この祈りの集いが、震災翌月の24年2月1日から毎月、同じ場所で地元の方、ボランティア、幼稚園の子どもなど多くの人々と共に続けてきたことを紹介。また、能登に思いを寄せる人たちを「能登につなぐ」集いでもあると語り、来月からは、輪島ベースでこの集いを続けていくと伝えた。
 巡礼者の一人、髙橋由依(ゆい)さん(27/東京・府中教会)は参加の動機について、「元日に起きた震災によって、お正月の意味が変わってしまった能登の方々の、できるだけ近くにいて過ごす年末年始にしたい」という思いだったと語る。そして1泊2日の巡礼を、次のように振り返った。
 「まず、被害のあった場所を訪れ、輪島の朝市通りなど(町が)整ってきている(倒壊した建物の撤去などが進んでいる)のを見ることができました。でもその周りには崩れたままの建物もあり、(地域の方々には)気持ちが追い付かないところがあるだろうと想像しました。また、輪島と七尾の教会では信徒の方とミサで祈ることができました。希望のともしびが被災された方の心にともるよう、一緒に祈った体験」や、祈りの中で「神様が共におられる」と感じられた体験が心に深く刻まれたと、髙橋さんは話した。

  • URLをコピーしました!
目次