大分教区(森山信三司教)では毎年、迫害を受けたキリシタンや殉教者ゆかりの各地区で五つのキリシタン史関連の行事が行われている。聖年に当たる今年、これらを一つに集め、大分地区全体で殉教者を記念する初の試み「大分地区殉教祭」が7月21日、大分カテドラル(大分ザビエル聖堂)で行われた。
この日の殉教祭では、大分キリシタン史の解説と五つのキリシタン史関連の行事を紹介するプレゼンテーション、記念ミサが行われた。参加した220人余りの司祭、修道者、信徒らは、大分のキリシタン史を学びながら各行事が記念することの意味を確かめ、ミサをささげて郷土の殉教者たちに思いをはせた。
カトリックの信仰で領地を治めようとした大友宗麟
この日、大分のキリシタン史を解説したのは、大分県の臼杵(うすき)市教育委員会で、キリシタン墓地をはじめとする遺跡の発掘調査や文化財保存などの仕事に携わっていた神田高士さん(60/臼杵教会)。

神田さんは、16世紀半ばに豊後国(ぶんごのくに/現在の大分県南部)を治めていた大名・大友義鎮(よししげ/後の宗麟〈そうりん〉。以下、宗麟)が、スペインの宣教師、フランシスコ・ザビエル(イエズス会)を迎え入れ、当地に信仰が広まっていった過程を解説した。宗麟がカトリック教会を保護したことにより、信者の数は日ごとに増え、領地内には修道院や聖堂、病院や親のない子どものための施設も建てられた。神田さんは、宗麟は「汝(なんじ)殺すなかれ」というキリスト教の教えをよりどころにして、武力を使わずに領地を支配する方法があるのではないかと考え、いわば「キリシタン都市」の構築を試みた、と説明した。
1586年、宗麟は薩摩(さつま)の大名・島津氏の攻勢に遭い、その翌年に病死。その40日後に豊臣秀吉が「伴天連(ばてれん)追放令」を出し、聖職者らは国外に追放される。豊後でも宗麟の子・義統(よしむね)が「禁教令」を発令。キリシタン迫害・殉教の時代が始まった。
五つのキリシタン史関連の行事のうちの一つ、「葛木(かつらぎ)祭」について説明をしたのは萩本達也さん(32/坂ノ市〈さかのいち〉教会)。葛木祭は大分教会から車で20分ほどの「キリシタン殉教記念公園」で例年6月に開かれ、公園での祈りの後、明野(あけの)教会でミサが行われている。

公園がある葛木地区は、多くのキリシタンが暮らしていた地域だ。迫害の歴史の中でも、特に1660年に起きた「豊後崩れ」では500人以上のキリシタンが検挙され、多くの殉教者が出た。
萩本さんは、「私はこの殉教祭を通して、今の信仰は過去から命懸けで託されたものだなと強く感じました。そして受け継いだ信仰を、周りの人や次の世代につないでいくことが、今を生きる私たちの『殉教』ではないかと思っています」と話した。
日々の生活の中で信仰を証しする
記念ミサに先立ち、森山司教は、この日のプレゼンテーションを聞いて、大友宗麟が武力によらない国づくりを望んでいたことが心に残ったと話した。だが現在、世界中で暴力や武力による統治が相次ぎ、戦争は絶えることがない。森山司教はミサでは特に「紛争地域に一日も早い平和が訪れるように」と祈るよう呼びかけた。
そしてミサの説教では、禁教を強いられた大分教区の殉教者らの「証し」を振り返りながら、現代を生きる信者たちに向け次のように語りかけた。
「日々の生活における小さな犠牲、あるいは誰かのために自分の時間を使うこと、他者のために自分を与える何らかの行為、物質主義の社会の中で信仰を生きること、これらはある意味の『殉教』ということができるでしょう。この殉教を通して、全ての命、特に最も助けを必要とする人々を守る文化のために働くよう促されています」
「皆さんが日々の生活の中で、イエス様の信仰を人々に証明すること、生き方で証明すること、それはたとえ命をささげなかったとしてもある意味の『殉教』と呼ばれるのです」
この土地に生まれたことを誇りに
葛木祭を説明した萩本さんは、「(大分県内だけでなく)宮崎や福岡からも来ていただいて、たくさんの人と一日を過ごして、自分の知らないことを知る機会にもなりました。普段は別々の行事で、違う人(殉教者)のために祈っていますが、ベースに流れているもの(信仰)は同じだと思いました」と一つに集まることができた喜びを話した。
ミサの答唱詩編で先唱者を務め、聖歌の指揮をした友永葉子さん(63/別府教会)は、「大友宗麟の時代や殉教者のことを聞いて、このような土地に生を受けたことをとても誇らしいと思いました」。そして「信仰を守ってくれた殉教者のおかげで教会があることに涙が出ました。現代の私たちも強い信仰を持てるようにとの思いを新たにしました」と話した。
フィリピン出身の野田ジーナさん(59/宮崎教会)は、子どもと参加。「いい勉強になりました。深い話でちょっと難しかったです」
同じく宮崎教会の伊藤瑠香さん(49)は子育てが忙しく、これまではなかなか殉教祭などの行事に参加できなかった。久しぶりに参加して殉教の歴史を知り「新しい発見がたくさんありました」。ミサで森山司教が、命を懸けなくても日々の生き方で信仰を証しすることができる、と話したことが印象に残り「(現代を生きる)自分はいろんな人に『カトリック信者です』と言うことができますが、殉教があった時代の人たちはそういうこと(信仰)を隠さなくてはならず、命懸けだったろうから(信仰を公にできる今の時代は)ありがたいなあと思いました」と感想を話した。
