7月1日で能登半島地震発生から1年半を迎えた。石川県では今も約2万人が仮設住宅で暮らし、復興の道のりは遠い。その中で今年3月、能登で支援を続けるカトリックの人たちに宛てて1通の手紙が届いた。
差出人は千葉県の会社員、山本明美(57/仮名)。山本さんの母、山田綾子さん(83/仮名)は、石川・輪島市の山間部に1人で暮らす。手紙には、母、綾子さんに毎週物資を届け続けているカトリック教会の支援者への感謝がつづられていた。
相次ぐ災害 集落で1人になった母
山本さんによれば、母親の綾子さんが住む実家は市街地から12キロ離れた山間部にある空熊町(そらくままち)。主要な道路は能登半島地震と昨年9月の水害で不通となり、崩れかけた約20キロの道を迂回(うかい)しなければ、今でも実家にはたどりつけない。電気は復旧したものの電話は現在も不通のまま。郵便配達も週に1度のみで、宅配便は配達を中止したままになっている。
集落では転居する人が相次ぎ、人口は半減した。残った人たちも昨年12月には次々に仮設住宅に入居し、綾子さんは、集落で1人になってしまったという。山本さんは夫と共に毎月、車で空熊町に通っているが、千葉県からでは限界がある。
「誰もいなくなった集落で、救急車さえ来てくれるかどうか分からない山の中で、母は果たして暮らしていけるのだろうかと心配でなりませんでした」
「誰ひとり、置き去りにしないように」
カトリック教会は、能登半島地震の発生直後から支援に動き始めた。被災地を管轄する名古屋教区(松浦悟郎司教)は、地元の司祭・信徒、修道会、カリタスジャパン、経験豊かな緊急支援チーム(ERST)と協力し、早い段階で 「カリタスのとサポートセンター」を立ち上げた。教区の支援方針は、「誰ひとり、置き去りにしないように―声なき声を聴き、ともに歩みながら―」。これまで、断水地域への水の提供や、人と人をつなぐカフェの運営など、地域の必要に寄り添いながら地道な活動を続けてきた。
支援の輪の中には、修道女たちの存在もある。修道会の枠を超えて修道女たちが奉仕のバトンをつなぐ「シスターズリレー」は、東日本大震災の復興支援で始まった。能登でも昨年6月から始まり、この1年で延べ26の女子修道会から50人が参加。30代から80代までの修道女たちが原則二人ずつ、2週間を目安に交代しながら能登に入っている。修道女たちはボランティアが寝起きするベース(拠点)を清潔に整えたり、食事を準備したりする。おかげでボランティアたちは、手作りの夕食を囲んで交流の時間を持つことができる。修道女たちは手が足りなければ水や物資を届ける活動も行う。そうした活動の全てを、全国の修道女たちが日々、祈りで支えている。
人とのつながりが 母を明るく前向きに
空熊町に継続的に通っている森田亜都子さん(金沢教会/七尾ベース長)によれば、昨年9月の豪雨以降、空熊町に物資が届かなくなり、輪島市の社会福祉協議会からの依頼で、10月から必要とされる所に通い始めたという。
山本さんの手紙は続く。「(皆さんは)11月から毎週末、危険な山道を、しかも多いときは1メートル近くの積雪の中、吹雪の中、母のために食料や水を届けてくださいました」

森田さんとボランティアたちは、畳替えや重い家具の移動、泥出しなどの重労働もする。やがて訪問を重ねるにつれ、皆、山本さんの母と会話も交わすようになった。
こうしたつながりは、山本さん母子の心にも変化をもたらした。
「すっかり気落ちして自信をなくしていた母が、皆様にお会いする回数を重ねるたびに、明らかに明るく前向きに変わっていくのが分かりました。人とのつながりによって、人はこんなにも変われるんだなと、おおげさではなく感動しました。実際、訪れる人もほぼいない真冬の山奥まで毎週定期的に訪ねてくれる方々がいるということが、どれほど心強かったか分かりません」
山本さんは、明るくなった母の綾子さんを見て、「地震は非常に不幸な経験だったけれど、皆さんとご縁ができたのだからいいこともあった」と思えるようになったという。手紙は心からの感謝の言葉で結ばれていた。
教会も、修道会も、支援のために動ける人があり余っているわけではない。限られた人数で力を合わせながら続けている支援が、被災した人とその家族の心に届いている。
※カリタスのとサポートセンターでは、引き続きボランティアの募集を行っている。詳細はこちらから。お申し込みはこちら。