東日本大震災(2011年)の後、教会が設置したボランティア拠点「カリタス大船渡(おおふなと)ベース」(岩手・大船渡市)が今年3月末に活動を終えた。ベースを運営してきた大阪高松教会管区(前田万葉大司教)は5月18日、大船渡教会(同市)と旧ベースで「感謝の集い」を開き、仙台教区内外から司教、司祭、信徒やボランティアら延べ150人余りが参加した。
ボランティア登録者数は2099人
12年1月14日に開所した大船渡ベースは、津波被災地の中でも自宅再建が可能な現在の土地に建設され、ボランティアは大船渡市と岩手・陸前高田(りくぜんたかた)市の復旧復興のために活動した。買い物の送迎やベース内外でのサロン活動のほか、ベースではスマホの操作、体操、陶芸、英語などを学べる各種の〝教室〟も開き、好評だった。被災者の安否確認を目的に戸別訪問にも取り組んだ。ボランティア登録者数は2099人に及ぶ。
ベース長の菅原圭一さん(69/大船渡教会)によれば、復興が進むにつれ、ボランティアでできる仕事は徐々に減っていった。コロナ禍を経てベースが再開した後も地域の高齢化で参加者が減少した中、復興支援のボランティア拠点としての役割は十分に果たすことができたと判断し、活動終了を決めたという。

できたつながりを深めていく
5月18日の集いは午前10時、大船渡教会でのミサで始まった。司式者は、大阪高松教会管区の4教区(大阪高松、名古屋、京都、広島)の司教4人と司祭1人、そして仙台教区のエドガル・ガクタン司教と大船渡教会を担当するバサ・イグナシウス・クリスティアヌス神父(神言修道会)の7人。
主司式した大塚喜直司教(京都教区)はミサの冒頭、この場に大船渡在住の人や外国出身者、巡礼団などさまざまな人が集っていることを確認し、「震災で出会い、共に涙し、励まし合ってきたつながりを今後もつなげ、深めていきましょう」と呼びかけた。
ミサの説教は松浦悟郎司教(名古屋教区)が担当し、「希望の巡礼者」をモットーとする今年の聖年のロゴマークに触れて次のように話した。
ロゴマークには大きな十字架をつかんでいる人物の背後に3人が連なり、抱き合いながら押し寄せる波の上を進む様子が描かれている。「イエスにつながっていても私たちの人生は不安や恐れで揺れるものだが、大切なのは、たとえ揺れたとしても私たちは絶対に揺るがない命、つまりキリストとどこかでしっかりとつながっているから、この世を生きられるのだということです」
松浦司教はまた、この地に教会があるのは、神が存在することのしるしとなるためだと指摘。「さまざまな悩みを抱えているこの地の人々に、神はキリスト者でない人も愛し、彼らと共にいることを伝えたい。彼らのために祈ることが大切」だと話した。
ミサ後は全員で記念撮影を行った。
大船渡教会の信徒の一人は、「これまで大船渡を支え続けてくださった(大阪高松教会管区の)司教様方がそろって入堂する姿を見て、涙があふれました」と語った。
大船渡教会を訪れるのは2度目という鈴木昭真(しょうま)さん(36/大船渡市)は、この日のミサに「共同体的」なものを感じたといい、「困難を一人で乗り越える必要はないと思えるかどうかで(生き方も)違ってくるように思えた」と話した。
「大船渡教会は地域支援の拠点であり続ける」
午後は、同教会から徒歩数分の旧ベースで集いを開催。ガクタン司教は、ベース開設当時の仙台教区長だった平賀徹夫名誉司教や司祭団に代わり、大阪高松教会管区を代表する司教らに感謝を述べた。
スタッフが活動の様子など思い出の写真を集めて制作したスライドも上映され、皆でベースの歩みを振り返った。
ベース開設当時、旧大阪教会管区の災害担当だった諏訪榮治郎名誉司教もあいさつし、こう話した。かつて自身が経験した阪神・淡路大震災(1995年)の際のボランティア拠点にはなかった「一日の終わりに祈る時間と場」が大船渡ベースにはあったと語り、被災による悲しみは深いが、「素晴らしいことも経験していく場」としてこのベース建物が存続してほしいと話した。
集いではまた、ベースを支えたスタッフら5人に、感謝状と同教会管区の特産品である味噌煮込み(名古屋)、漬物(京都)、お好み焼き(広島)と菓子(大阪高松教会管区)が酒井俊弘補佐司教(大阪高松教区)から手渡された。
あいさつに立ったベース長の菅原さんは、1960年のチリ地震津波の際、ベトレヘム宣教会のアロイジオ・ヴォルフィスベルク神父が母国スイスで寄付を集め、被災した大船渡市民のために「いこいの家」という名の入浴施設を二つ建てたことを紹介した。
大船渡ベースの愛称「地ノ森(じのもり)いこいの家」は、現在は公民館として使用されているその施設の名と、地区名「地ノ森」に由来。地元の高齢の人から「あの時に支援してくれたカトリック教会の方々ですね」と今でも声がかかるという。菅原さんは時折声を詰まらせながら、集いの参加者に支援への感謝を述べ、「地ノ森地区の公民館が14年前の津波で流されているので、旧ベース建物は地域の公民館として使ってもらいたい」気持ちだと語った。
最後に松浦司教は「緊急支援で入ったグループはいずれ(被災地を)去るが、大船渡教会はこれからも地域支援の拠点であり続ける」と話した。
2016年からベーススタッフを務めてきた休石(やすみいし)千枝さん(大船渡市)は、「私は被災地の住民でも被災はしていませんが、いつまでも大船渡を気にかけてくださる方々の心に触れてきました。ただただ感謝、感謝(という気持ち)」という。
三浦ローズマリーさん(56/大船渡教会)は、同教会を訪れるベースのボランティアに会うたび、「遠くから(支援に)来てくれて、ありがとうという気持ちでした。今日はベースで皆さんに会えてよかった」と話す。
同教会に隣接する海の星幼稚園の卒園生という村上富美子(ふみこ)さん(63/同市)は、市内の他の支援団体職員としてベースと連携。今は遠方に住むベースの元スタッフやボランティアとも親交があり、「今後もつながり続けていきたい」と語った。
