関東大震災朝鮮人・中国人虐殺102年 キリスト者が追悼祈祷会

 「NCC(日本キリスト教協議会)東アジアの和解と平和委員会」の呼びかけで8月30日、関東大震災後に虐殺された朝鮮人・中国人犠牲者を追悼するキリスト者祈祷(とう)会が、東京・新宿区の日本キリスト教会館で開催された。
 集いには、日本カトリック正義と平和協議会(以下・正平協/担当司教・ガクタン・エドガル司教〈仙台教区〉)、日本キリスト教会など計17団体が賛同。会場に約60人が集まったほか、オンラインで視聴した人を含めて130人余りが集いに参加した。
 参加者は、祈りを通じて虐殺の事実と現在につながる問題を確認した。みことばの朗読、牧師によるメッセージ、賛美歌、そして黙想の時を交えて、一人一人の心にある偏見や差別について考え、平和を実現する者となるよう祈りを深めた。
 集いの最後に声明文を発表した。

「同じ過ちが繰り返されている」 
連祷で、102年前の虐殺について祈りをささげる昼間範子さん

 集いの始めの連祷では、正平協事務局の昼間範子さんが先読みを務め、次のように102年前の悲劇を思い起こした。
 1923年9月1日に発生した関東大震災によって、10万人以上の命が奪われた。この時、震災自体による犠牲とは異なり、「日本の朝鮮に対する植民地支配の中で生まれた差別と偏見」の結果、虐殺された人々がいた。数千人に及ぶ朝鮮人、そして700人を超える中国人だ。
 虐殺は、根拠のない流言飛語をきっかけとして起きた。発災翌日の2日、人々の間で「不逞鮮人(ふていせんじん)が暴動を起こした」などと朝鮮人への差別語などを含むデマが広がった。その〝暴動〟を鎮圧するという理由で、天皇の勅令による戒厳令が発布され、戒厳軍と官憲が虐殺を始めた。
 さらに在郷軍人など民衆で組織された自警団は、街の各所に設けられた検問所を使って虐殺を進めた。その方法とは例えば、朝鮮語では通常、語頭に濁音が来ないことから「十五円五十銭」と言わせ、正確に発音できないと朝鮮人と見なして惨殺するといったものだった。
 しかし政府は、震災から102年が過ぎた今に至るまで「虐殺の事実は確認できない」と主張し、真相究明と国家責任から「逃避」している。参加者は連祷で、こうした政治を許してしまった自分たちの「民衆責任」を思い、悔い改めの祈りをささげた。
 先読みをした昼間さんはまた、一言ずつ静かに、いま「102年前と同じ過ちが繰り返されている」と次のように祈りの言葉を読み上げた。
 今年7月の参議院選挙では、「排外主義の言論」が横行した。「日本国籍を持つ者の感じる生きづらさが、あたかも日本にいる外国人のせいであるかのようなデマ」が拡散され、「与野党そろってその対策を叫び始めました」。有権者の間で、そうした排外主義的な主張に対する支持も広がっている。「かつてデマによって起きた弾圧・排除と同じことが、再び起きたのです」
 「主よ、あの時のジェノサイド(虐殺)を見つめていたあなたは、いま、この現実をどのように見つめておられるのでしょうか」
 昼間さんは、当時のキリスト教会が神に従って行動することができず、虐殺に対して「口を閉ざし、沈黙していたことを深く悔い改めます」と祈り、会衆も心を合わせた。

 キリストにつながって
虐殺犠牲者を偲び、話し始めたキム・シンヤ牧師

 在日大韓基督教会横須賀教会のキム・シンヤ(金迅野)牧師は、「殺すなかれ/傷につらなる」をテーマに話した。
神がアブラハムに託した十戒には「~するなかれ」と、禁止を意味する言葉が並ぶ。この言葉には「~をするはずがない」という意味もあることから、キム牧師は十戒の「殺すなかれ」には「あなたがたは殺すはずがない」という、人間に対する神の思いや期待を「深く読み取りたい」と述べた。 
 キム牧師はまた、102年前の虐殺犠牲者と「向き合う」ため、また「傷」を通して他者とつながり、共に生きていくために、キリスト者はイエスにつながることが重要だと強調した。
 キリスト者のラッパー・FUNI(フニ)さんは、リズムに乗せ、言葉を早口で表現する特徴のある「ラップ」を披露。自身が在日コリアンとして感じてきた葛藤や、パレスチナなど国内外で出会った人々が負う〝傷〟について語った。102年前を思い起こさせる在日外国人への差別と抑圧、世の不条理を告発し、一人一人が抱える痛みに寄り添った。

自身の幼い頃の写真をスライド上映し、在日コリアンとして感じてきた生きづらさなど
自身の〝傷〟についても語ったFUNIさん(写真右奥)
 祈り、行動していく

 集いの最後に、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺犠牲者102年キリスト者追悼祈祷会声明文」が担当チームから朗読された。
 声明文では、虐殺の事実を振り返るとともに、昨今の排外主義の広がりを指摘している。例えば、今年7月の参院選では「在日外国人への敵愾(てきがい)心をあおる選挙演説の名を借りたヘイトスピーチ(憎悪表現)」が繰り広げられた。街頭演説に集まった聴衆から、「『十五円五十銭』って言ってみな」という、「102年前の虐殺を意図的に連想させる野次までもが出現」した。
 声明文は、こう続けている。
 「102年前に銃・日本刀・鳶口(とびぐち/鋭い鉄製の穂先を持つ道具)をもって捕らえられた朝鮮人たちを惨殺する戒厳軍・官憲・自警団員という暴虐の中心を、群衆がはやし立て取り囲んだ虐殺現場の光景と重なります。その同心円の外側には、虐殺に加担もせず、(中略)背を向けて黙認する人々が存在しました。この暴虐の同心円が、今も私たちの生きるこの社会にも息づいていることを覚えずにおれません」
 声明文は「私たち」が「イエスを信じる信仰を証しし、共に苦しみを担う道を歩む」ことができるようにとの祈りで結ばれている。
 閉会に当たり、NCC東アジアの和解と平和委員会委員長の飯塚拓也さん(日本キリスト教団竜ヶ崎教会牧師)は、大震災後の中国人・朝鮮人虐殺犠牲者を追悼する集いが今後、関東各地で行われることに触れ、「他の集会とも連帯したい」と語った。
 関東大震災から100年となった2023年以降、虐殺犠牲者の慰霊祭に積極的に参加しているという齊木登茂子さん(東京・徳田教会/平和を実現するキリスト者ネット)は、こう話した。
 「キム先生の『痛みや傷を通して私たちがつながり、(他者の痛みを)自分事にしていく』というメッセージを強く心に留めました。私たちは歴史を学ばないし、過ちを繰り返してしまいます。せめて犠牲になった方々を悼みながら、より良い社会になるよう祈り、行動していこうと決意を新たにしました」
 声明文(日本語、韓国語)のほか、集いでささげられた連祷(「リタニー」)と共同祈祷は、近くNCCのウェブサイトに掲載予定。

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