3.11から15年 優しさと愛にあふれる世界に変えていく使命
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から15年となった3月11日、仙台カテドラル元寺小路(もとてらこうじ)教会でシンポジウムと追悼ミサが開かれた。シンポジウムでは3人のパネリストが震災後、仙台教区で行われた支援活動と全国からのサポートを振り返り、今後の取り組みへの展望を語った。犠牲者への追悼と復興を祈願するミサでは、カリタスジャパン責任司教の成井大介司教(新潟教区)が、想定外のことが毎年のように起こる世界であっても、優しさと愛にあふれる世界に変えていくよう呼びかけた。仙台教区とカリタスジャパンが共催し、300人余りが参加した。
「支援する側、される側」ではなく「友人」

シンポジウムの冒頭、エドガル・ガクタン司教(仙台教区)はあいさつで、この日のシンポジウムが「(東日本大震災)発生地から(将来の災害)発生地への伝承の作業」になるのではないかと話した。
初めに登壇したのは、元寺小路教会信徒の園部英俊さん。園部さんは、旧仙台教区サポートセンターのスタッフで、現在はチーム・カリタス仙塩(せんえん)のメンバーとして、地域での寄り添い活動を続けている。チーム・カリタス仙塩は、仙台市と塩竈(しおがま)市にある八つの小教区からなる支援グループとして2017年に活動を始めた。月に2回、カリタス石巻ベースが行ってきた「いこいの場」で、手芸やゲーム、ダンス、季節の行事などを通じ、地域の人々と近況を語り合う活動を続けている。
園部さんは、利用者と名前で呼び合う関係になり、支援する人、される人の関係ではなく、友人になってきたことをうれしく感じているという。一緒に活動しているボランティアグループ「心の港」のフランス人リーダーが、日本語が得意でなくても高齢の利用者に寄り添う姿に「寄り添うとはこういうことだ」とも感じている。
しかし時に「まだそんな活動を続けているの?」と言われ、被災者支援への関心が薄れているのではないかと感じることもあった。今のままでいいのかと悩み、「心の港」のリーダーに打ち明けたところ「園部さん、ここに来ている人たちは皆さん、震災の被災者ですよ」と言われた。
この言葉に園部さんは「『いこいの場』は津波で被災した方たちの大切な居場所、心のよりどころであって、みんなが笑顔になってつながっている場所なんです。ここが一つのコミュニティーだということに改めて気付かされました」。チーム・カリタス仙塩のメンバーもほとんどが高齢者だが、「これからもこの場を続けていきたい」と話した。
深堀崇(たかし)さんは震災後、大阪教会管区(当時)が設立したカリタス大船渡ベース(岩手)の初代事務局長を3年間務めた。現在、大阪高松教区職員の深堀さんは、大船渡での支援活動の経験者として、カトリック中央協議会の「カリタスジャパン緊急対応支援チーム(CJーERST)」にも加わり、被災地の意向に沿った災害支援に関わる。被災地を離れてからも「震災を風化させたくない」という思いから毎年、仙台教区での被災地巡礼を企画。巡礼団は教会を訪問し、被災地に学び、大船渡で追悼ミサをささげている。
東日本大震災発生後、大阪教会管区では、阪神・淡路大震災を経験した司祭が最初に現地入りし、支援の拠点となる場所を探した。大船渡ベースは、地域に受け入れてもらい、コミュニティーを支えるための場所として2012年1月に開所した。
深堀さんは「ベース長は常に司牧者だったため、ボランティアスタッフにとって大きな心の支えになりました。心が苦しくなったときに、相談できる司牧者がすぐそばにいたことは大きかったです」と振り返る。現在の仙台教区長、ガクタン司教もベース長経験者だ。
深堀さんは「目に見える被害がなくなった時にこそ、人とのつながりが大切になる」と話し、ボランティアたちが「カリタスさん」と地域の方に呼ばれて活動ができたと振り返った。大船渡ベースから歩いて数分の距離にある大船渡教会には、海の星幼稚園が隣接しており地域でよく知られていた。「あそこの幼稚園の関係の団体です」と言うと、「あの幼稚園の関係なら安心な人たちだね」と言われることが多かったという。教会、幼稚園が地域で長年築いてきた信頼があったからだ。
深堀さんは当初、「支援する側」という意識が強かった。ある時、仮設住宅に被災者を訪ねると「あなたたちの思いは十分に伝わっているから、どうか休んでください」と言われる。自分の態度や行動に「支援をしなければならない」と「圧」のようなものが出ていたのかもしれない、被災者にとって負担になっていたのではないかと深堀さんは気付く。「支援する側、される側」ではなく「友人」を訪ねるような姿勢を心がけるようになると、皆から自然に受け入れられるようになった。
教会と地域の日々のつながりがあってこそ、災害時に教会が地域の中で役割を果たすことができると深堀さんは話した。
発災直後に仙台教区に入り、仙台教区サポートセンター事務局長を務めた成井大介司教(カリタスジャパン責任司教)は、震災対応におけるカトリック教会と一般の支援団体との違いについてこう説明した。
一般の支援団体は「がれきの撤去が終わるまで」といった支援の目標、ゴールを決めて予算と人を配置し、目的が遂行されたところで活動を終了する。カトリック教会の場合、災害が発生する前からその地域で生きており、災害後もそこで生き続けるものであるため、活動に終わりはない。
成井司教は「地球上の至る所に教会があります。世界のどこかで災害が起これば、どこかの教会が被災します。教会はいつでも被災者です。当事者として居続ける」からこそ、「支援する側、される側」という区別がなくなり、「共に生きる側」になると指摘。そして「震災前に地域の人々に愛の奉仕をしたことがなければ、どんな災害が起こっても(支援や地域との関係づくりが)うまくいかない」とも話し、災害時に必要な物資を備蓄することも、地域の人々のための愛の奉仕の一部だと述べた。
教会は15年前と比べ、日本人信徒の高齢化が進み、海外出身の信徒が増えている。成井司教は、教会の普段の活動の中で、両者が一緒に、震災対応をはじめとする愛の奉仕を地域にしていこうという体制ができているか、真剣に探していかなければならないと感じていると語った。
愛を世界にもう一度伝えていく使命

東日本大震災発生時刻である午後2時46分、聖堂の鐘が鳴り響き、ガクタン司教主司式による追悼ミサが始められた。
説教を担当した成井司教は、この日を迎えるに当たり、何人もの人から、「当日は現地に行かれないけれども祈っています」と声をかけられたことを紹介した。
この15年、特に直近の5年間にはコロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのガザへの攻撃、能登半島地震があった。昨年、米国でトランプ大統領が就任し、世界の仕組みが大きく変わり始め、中東地域において戦争はさらに拡大している。
「東日本大震災の時、私たちは何度も何度も『想定外』という言葉を聞きました。あんな地震が、津波が、原発事故が起こるとは誰も想定できませんでした。想定できないような出来事が毎年のように起こっています」
この日読まれた聖書はマタイ福音書25・31~46、イエスが十字架に付けられる前に、弟子たちに最後の説教をしている場面。イエスが「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と諭す、貧しい人々への愛の奉仕についての強い思いが込められた箇所だ。
成井司教は、希望をなくした時に神が共にいることを「(私たちは)東日本大震災のときに肌で感じたのではないでしょうか」と問いかけた。
そしてこの世界は全てがつながっていて、互いに影響し合っているとも指摘。優しさや、他者を大切にする思いは、それがどんなに小さくても、ささやかでも、必ず広がっていく。「15年前、苦しみのただ中にいた私たちに、世界中から優しさが注がれました。私たちはその優しさを受け、日本各地に広がって、能登半島地震にもつながっていきました」
成井司教は「全力で命を大切にする思いを伝え続けていかなければならないと思います」と話し、暴力で世界の仕組みを変えることにかじを切っているかのように見える今、「世界中の慈しみ、愛を世界にもう一度伝えていく使命が私たちにはあります」と呼びかけた。
ミサに参加した鈴木真理子さん(59/元寺小路教会)は、震災当時仙台に住んでいた。2日後に実家がある石巻に入った時の光景は忘れられない。「家族は無事でしたが、(その後は)大変でしたし、同じ石巻でも亡くなった方がたくさんいます」
その時は「どうしてこんなことが」と思ったが、後にたくさんの人の優しさに触れ、世界中の人が被災地のために祈ってくれたことを知ったという。「(説教の冒頭にあったように)15年たっても、私たちのために遠くの方たちが祈ってくださっていることがありがたく、神様の恵みの一つだと思いました。亡くなった人のことを思うと、何年たっても悲しいですし、死ぬまでその気持ちは残ると思いますが、(今日は)感謝の一日でもあるし、天に召された人たちのためにお祈りを続けていきたいと思います」。
この日、手話通訳の奉仕をした長尾雅子さん(70代/元寺小路教会)は成井司教の説教を聞いて、身近な人が原発事故で別の土地に移ったことや、手話の仲間が両親を津波で亡くしたことなどを思い出し「涙が出そうになりました」と話した。

