東京教区で働く外国人宣教師の集いが12月9日、東京カテドラル関口会館のケルンホールで初めて開かれた。参加した55人余りの聖職者、奉献生活者らの出身国は22カ国にも及ぶ。参加者たちは駐日教皇庁大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教の講話を聞き、分かち合いと交流会を通して、新たなつながりが芽生えた。
修道会の枠を越え、力を合わせて宣教を
この集いを修道会・宣教会に呼びかけた同教区のアンドレア・レンボ補佐司教によれば、外国人宣教師の集いは今回が初めての試み。宣教師たちは宣教地である日本に来て、修道会ごとに懸命に宣教しているが、会を超えた交わりの機会は少ないと感じていたという。そこで今年10月の「世界宣教の日」を機に、同教区教皇庁宣教事業(MISSIO東京)が今回の集いを企画・準備した。
自身もミラノ外国宣教会の宣教師であるレンボ司教は、開会のあいさつで、宣教師たちが力を合わせて宣教に取り組むことに期待し、ユーモアを交えて次のように呼びかけた。
「誘っていただければ(自分が)各修道会を訪問したいと思います。ミサとおいしいお食事を用意していただければ喜んで参ります」
エスカランテ大司教は講話の初めに「できればこのような集いを毎年開催し、宣教の務めへの意識を深める機会としてほしい」と話した。
そして宣教は「一部のクリスチャンの特権ではなく、神の聖なる民全体の務め」であると同時に、それを必要としているのは「常に『他者』ではなく、私たち自身でもある」と指摘。まずは自らの回心を求め、それから他者を導くという宣教観の転換が求められていることを強調した。
エスカランテ大司教は、シノドス第2会期の最終文書に挙げられた修道生活に関する優先課題にも言及し、①シノドス的な生き方を培う②宣教は緊急であることを自覚して、宣教への献身を新たにする③自分たち相互の関係、修道会や修道院間の関係、そして教区司祭たちとの関係を優先するーこれらを実践するよう呼びかけた。
講話後、エスカランテ大司教の祝福を受けた参加者たちは、七つのグループに分かれ、主に日本語で日々の宣教活動で感じていることなどを分かち合った。
交流会では食事を共にしながら、連絡先を交換し合うなど、つながりをつくる場面がここかしこに見受けられた。来年10月に、第2回の集いの開催が予定されている。

分かち合うともっと力が出る
インド出身のチライルパランピル・トマス神父(41/クラレチアン宣教会)は、来日前は台湾で司牧していた。「(台湾では)このような集まりがあったのに、どうして東京ではないの?と思っていました。皆で会って分かち合うほうが、もっと力が出ます」
ポルトガル出身でセルヴィ・エヴァンジェリー宣教会会員のレイスゴメス・パウラさん(61)は、来日34年。上智大学でポルトガル語を教え、青年たちとの関りも多い。出身国も日本での宣教経験もさまざまな人たちのグループで分かち合い、日本での司牧経験の長い宣教師たちの話を聞いた。「神様が日本をとても愛していることが分かりました」。「(集まった宣教師たちの働きに)感謝があふれました」。
ベトナム出身のチャン・ゴー・グェン・ヴー神父(35/聖パウロ修道会)は、ベトナム人司祭の間では、正月などの節目に自発的な分かち合いの場が開かれることがあるという。出版などのマスメディアによる宣教が主である聖パウロ修道会は、小教区を担当している修道会とは仕事内容や活動の時間帯が異なることが、交わりの機会を持ちにくい理由ではないかと話した。
イタリア出身のマリーザ・ガンバート修道女(78/サレジアン・シスターズ)は、49年間を日本各地の同会支部で過ごした。時々は他の会の修道女と交わることがあるというが、この日の集いで「宣教師たちは皆積極的だと思いました。宣教師としての意識が高いと思いました」。
ヌカポグ・スダーカル神父(40/ミラノ外国宣教会)は、インドで叙階された後、来日。日々忙しく、修道会が違うと同じインド出身者同士でもコミュニケーションを取る機会が少ない。会議で会うことがあっても、終わるとすぐ解散することが多いという。今回の集いは交流の時間が持てたことが良かったと話し、「他の修道会の人と会う機会は素晴らしいです。お互いの考えを聞いて、交流して、連絡先を交換するきっかけになりました」。

