
真生会館(東京)やカトリック船橋学習センター・ガリラヤ(千葉)の講座でキリスト教美術の魅力を伝えているアンドレア・レンボ補佐司教(東京教区)に、イエス・キリストの誕生を祝う場面を描いたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの『東方三博士の礼拝』について解説してもらう。
星に導かれた博士たち
クリスマスに向けて、イエス様の誕生を知ってお祝いに駆け付けた3人の博士のことを取り上げたいと思います。ファブリアーノの『東方三博士の礼拝』は1423年の作品で、板にテンペラ絵具で描かれています。幅3メートル、高さ2メートル82センチの大きな作品です。
イタリア・フィレンツェのパッラ・ストロッツィの依頼で制作され、サンタ・トリニタ教会の家族礼拝堂に掲げられました。現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に収蔵されていますが、プレデッラ(作品の下部にある3枚の絵が描かれている部分)のオリジナルはパリのルーブル美術館にあります。ウフィツイ美術館に展示されているプレデッラ部分は複製されたものです。
まず、ルネッタ(作品上部の三つのアーチ部分)に注目してみましょう。
ルネッタの尖塔中央の円の中は左から大天使ガブリエル、真ん中はイエス様、右はマリア様です。イエス様はこの世を祝福しています。その円の下の左右には預言者たちが描かれます。
ルネッタのアーチ部分の左は東方にいる3人の博士が夜空を見上げ、イエス様の誕生を知らせる流れ星を観察している場面です。続けて博士たちはユダヤ人の王として生まれたイエス様を拝むため、大勢のしもべを連れてエルサレムに向かい(中央)、都に入城します(右)。博士たちの旅が、段階的に示されているのです。

世の光として誕生したイエス
ルネッタの下には、3人の博士がイエス様に黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげるシーンがメインに描かれています。
博士たちについて説明する前に、聖家族を見ていきたいと思います。左下の青と赤の衣を身にまとっているのがマリア様、その膝の上にいらっしゃるのがイエス様、マリア様の後ろに立ち、黄金の衣を身に付けているのがヨセフ様です。
金色の外套は、聖ヨセフが神様に祝福されていること、イエス様が世の光として現れたことを意味しています。ヨセフ様の頭の上に、黄金の光が輝いていますね。神様はまず初めに聖ヨセフを照らしたのです。
マリア様の衣の赤は血の色です。マリア様の「人性」を表し、その子イエス様にも人性があることを象徴します。青は神様の存在を示す色ですから、マリア様は人間でありながら神様の恵みに包まれた、神聖な存在であることを表現しています。
マリア様の後ろの女性二人のうち、一人は質素な服装、手前にいるもう一人は豪華な服装をしています。イエス様の誕生で貧しい人も、豊かな人も喜んでいることを示しています。
その後ろには質素な建物がありますね。貧しさの中で生まれたイエス様が「民の神」であることを、3人の博士が証明していることをこれからお話します。
年を取るほど神を畏れる者になる
イエス様は、聖家族にひざまずく年老いた博士の額に手を置いて祝福しています。聖ヨセフの頭の上の星からひざまずいている博士までが流れるように描かれ、イエス様の誕生を通して、神様が人間を祝福していることを表現しています。
年老いた博士の後ろでかがんでいるのは中年の博士、立っている博士は青年です。
3人の博士は年齢が異なっています。年老いた博士はイエス様が神様だと悟っているのでひざまずき、冠を脱いで祝福を受けています。中年の博士は、冠を外そうと手をかけてはいるものの、まだ迷いがあります。青年の博士は馬から降りたばかりで、足元のしもべが左足から馬具を外しています。青年の博士は、冠を外そうとしていません。
この3人の博士たちの姿は、人間の人生の歩みの中での、神様と人間のつながりを表しているのです。年を取るほど神様を畏れるようになることを表しています。
博士たちをもっとよく見ていきましょう。
老人の博士は没薬(もつやく)、中年の博士は乳香、青年の博士は黄金をイエス様に贈ります。 昔のヨーロッパでは、没薬は塗り薬としてけがの治療に使われました。乳香はアジア由来。黄金はアフリカに採掘場がありました。
ですから老人の博士はヨーロッパ、中年の博士はアジアを、青年の博士はアフリカを象徴しています。そして贈り物にも意味があります。黄金は目に見える美しさを表し、乳香は典礼で使われることからイエス様が礼拝されるべき方であることを示し、没薬はイエス様が人間の救いのために苦しみに直面することを暗示しています。
聖家族の服装と3人の博士の服装には、差がありますね。聖家族はシンプルだけれど美しい。博士たちは立派なアラベスク模様です。細かいところまで描くのは、ファブリアーノの特徴です。イエス様は立派な服を着た博士を祝福していますので、地上の金と銀は決して悪いものではなく、それを神様にささげるなら、お金持ちも貧しい人もイエス様に近付くことができることを意味します。
イエスは命のパン
動物たちにも意味があります。青年の博士の斜め後ろでワシを持っているのが、作品を依頼したパッラ・ストロッツィです。ワシは権力の象徴です。隣の若者はストロッツィの息子で、私たちの方を向いています。私たちを「この場面に入ってください」と招いているのです。
馬がたくさん描かれているのは、高い社会的地位や力を表します。当時、馬を持っている人には高い社会的地位と力がありました。右下に伏せている猟犬は勇気の象徴です。猟犬は主人に従うからです。
ストロッツィ親子の後ろにはラクダと、その上には縛られたサルもいます。水を飲まずに長旅をすることができるラクダは、砂漠に住む人たちにとっては宝物です。忍耐強さを象徴します。すばしっこく物を奪い取るサルは悪魔の象徴。私たちが分からないうちにやって来て、我々の良いものを奪い取る悪魔(サル)をコントロールするのがラクダです。それには忍耐が必要なのです。
聖家族のそばにはウシとロバがいます。イザヤ書の1章3節に「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶(おけ)を知っている」とありますが、ここに描かれたウシはユダヤ人を、ロバは異邦人を象徴していると考えられています。 ウシとロバは飼い葉おけから食事をしますね。飼い葉おけは誕生したイエス様が置かれた場所ですから、イエス様が天から下ってきた命のパンであり、イスラエル人も異邦人も食べることができるのです。東方からやってきた博士としもべたちの多くは異邦人です。
最後はプレデッラ。左はイエス様の誕生です。マリア様はイエス様をじっと見つめていますが、少し離れたところにいる聖ヨセフは戸惑っています。イコンでよく描かれる場面です。真ん中は、聖家族がエジプトに避難する場面(マタイ2・13―15)、右は、神殿にイエス様をささげる場面(ルカ2・22)です。
イエスの誕生日が12月25日の訳
クリスマスは私たちにとって一番なじんでいる教会の行事ではないでしょうか。暦ができてクリスマスをお祝いするようになったのは3世紀から。それまでは毎日のように家族が集まって、イエス様の最後の晩さんを振り返っていたようです。
12月25日は元々、ローマ帝国の祭日で当時の冬至に当たり、光の神様を祝う日でした。この日を境に昼が長くなりますね。この世が最も暗い24日の夜中に、この世を照らすイエス様が誕生したのです。イエス様の誕生を描く時、画家たちはなぜたくさんの金色を使うのか。金は光の象徴だからです。
ちなみに洗礼者ヨハネの誕生の祝日をご存じでしょうか?夏至の頃、6月24日です。この日を境に夜が長くなりますから、洗礼者ヨハネは「先駆者」として現れ、光であるイエス様を迎える準備をする存在なのです。「あの方は栄え、私は衰えねばならない」(ヨハネ3・30)と洗礼者ヨハネ自身が言っている通りです。
この作品全体がイエス様の誕生の全てを物語っています。それではストロッツィの息子の招きに応えて、私たちも群衆に加わり、イエス様を拝みに行きましょう。
