今年から「日本205福者殉教者」から「福者セバスチャン木村と204殉教者」に記念日(9月10日)の名称が変更された。その最初の年に日本カトリック神学院(東京・練馬区)の神学生と養成担当司祭ら4人が9月10日から13日にかけて長崎を巡礼し、殉教史跡を中心に、日本人最初の司祭・セバスチャン木村(イエズス会)ゆかりの地を巡った。今年5月、神学院にはセバスチャン木村の殉教を描いたブロンズレリーフが掲げられている。(→関連記事)
セバスチャン木村を含む55人の信者は、1622年9月10日、長崎の西坂で殉教した(元和の大殉教)。同じ9月10日から始めた巡礼で一行が最初に訪れたのは、セバスチャン木村の出身地である平戸。平戸ザビエル記念教会では、セバスチャン木村を思ってミサをささげた。

2日目はセバスチャン木村が巡回司牧した島原地域、3日目はセバスチャン木村が司祭叙階を受けた「岬の教会」があったとされる旧長崎県庁跡地などを巡った。最終日は大村市を訪れ、セバスチャン木村をはじめ長崎奉行所に捕らえられた司祭や信者が閉じ込められた鈴田牢跡と、1657年のキリシタン弾圧「郡(こおり)崩れ」で131人が処刑された放虎原(ほうこばる)殉教地で、殉教者たちに思いをはせた。
巡礼に参加した助祭準備コース(神学4年)の丹生信雪(たんじょう・のぶゆき)神学生(37/大阪高松教区)は、平戸ザビエル記念教会のミサで説教をした、養成担当の浅井太郎神父(名古屋教区)の「まなざし」が印象に残ったと話す。「ここから(セバスチャン木村の殉教の歩みが)始まったという(強い)メッセージを感じました」
そして「私自身が助祭叙階を目前にしているので、自らの信仰と召命について、セバスチャン木村の生涯に照らして、改めて振り返る巡礼になりました。セバスチャン木村は命懸けで福音を宣(の)べ伝えました。宣教者として現代を生きる私たちにも覚悟が問われていると思いました」と感想を話した。
