今とつながる 「近代日本」の神学を再確認 日本カトリック神学会 学術大会

 日本の神学研究者が集う学会「日本カトリック神学会」(以下・神学会)は9月8日と9日の2日間、東京・練馬区の日本カトリック神学院で第37回学術大会を開催した。
 総合テーマは、「日本の近代国家形成期のカトリック神学」。上智大学名誉教授の田中裕(ゆたか)さんが「岩下壮一の思想と実践」と題して基調講演を行ったほか、13の研究発表が行われた。
 大会には、オンラインで視聴した人を含め全国から70人余りが参加し、今の教会が第2バチカン公会議(1962~65年)以前の神学にも支えられていることを再確認した。

 ザビエルの精神を生きた日本人

 初日の基調講演で田中さんが取り上げた岩下壮一(1889~1940年)は、当時の、つまり第1バチカン公会議(1869~70年)以後のカトリック神学を日本の文化の中に受肉・開花させることに取り組んだ司祭であり、神学者だ。
 岩下はかつて中世哲学思想史研究の先駆けとして、1919年、留学のために渡欧するが、現地で司祭召命を得て神学を修めた。25年、自身の霊名の聖人である聖フランシスコ・ザビエルと同じく、イタリア・ベネチアで司祭叙階の恵みを受けて帰国する。
 翌26年、岩下は学生寮「聖フィリポ寮」を開き、カトリック思想の研究や普及のために「カトリック研究社」を創設。30年にはハンセン病療養施設「神山復生(こうやまふくせい)病院」(静岡県)の院長に就任するなど多彩な経歴を持つ。

基調講演を行う田中さん

 田中さんはまず、宣教師ザビエルの「愛に燃える」生き方に深く心を動かされたポルトガル人医師、ルイス・デ・アルメイダに言及した。
 アルメイダは来日し、西洋式医学を導入。イエズス会宣教師だった当時(晩年、司祭叙階)、「病める人間」の治療には「肉体の薬」と「魂の薬」を併用する必要があるが、自分の力では肉体の薬しか与えることができないと、書き残しているという。
 一方、神山復生病院に赴任した岩下は、自身の無力さを悟ると同時に秘跡の力を痛感する。
 赴任後、最初の主日ミサでのことだ。岩下は、重度の療養者たちが自身の手から「主の御体」を拝領した「あの時」ほど、彼らを慰めることもできない自身の無力さに対し、秘跡がいかに力強いかを感じたことはないと回想している。岩下は重度の療養者との関わりを通して、神と人の唯一の仲介者であるキリストの祭司職に目覚めていった。

 療養者と関わる中に

 第1バチカン公会議は、産業・科学の発展など、急速な社会の変化に教会がどう対処するべきかという、課題への対応に迫られて開催された。同公会議は、この世の社会的な動きを「超える」物事を理解し直そうとした。そのため公会議で示された方向性の中には、「超自然」の存在、つまり人間が自力では決して到達することのできない、神からの恵みや啓示の領域、真理や救いの存在を確認することがあった。
 田中さんは、神が創造した本来の自然、「超自然」に回帰する必要があると岩下が唱えていたことに言及した。前教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』に記されたアッシジの聖フランシスコの賛美も、「超自然」の創り主である神をたたえているものだと説明する。
 その上で田中さんは、「超自然」への目覚めを表現した詩として、ハンセン病療養者の一人でカトリック信者の東條耿一(こういち/1912~42年)の「病床閑日」を取り上げた。
 この詩は、東條が一時的に症状が回復した時に書いたもの。庭の木々や太陽の光、セミの声、踏みしめる草の感触など、自身の肉体と精神、全てで感じ取った感覚を驚きと喜びをもって自由に歌う。東條は、その生命の深みにおいて聞いた一つの「聲」(こえ)を、それは「私を超え 自然を超えた/暖(あたたか)いもの 美しいもの」「私のいのち いのちの歌」と表現している。
 田中さんによれば、これまで岩下に言及してきたのは、主に教会の高位聖職者だったという。だがこの基調講演では、多くの人にとって触れる機会が少ないと思われる療養者の手記などから岩下を掘り下げた。岩下が学んだ西洋の神学が、彼と療養者の関わりのうちに双方に受肉・開花していったことを紹介した。

 活動の核は「祈り」

 基調講演を受けて、東京大学名誉教授の黒住真(くろずみまこと)さんと、筑波大学名誉教授の桑原直己(くわばらなおき)さんがコメントした。
 黒住さんは、岩下が神山復生病院に赴任する前後の行動を加えて紹介した。日本人がおのずから志向する「コスモスの(宇宙的な)調和」を乗り越えて「超自然」を見いだすところにカトリックがあるという、ヘルマン・ホイヴェルス神父(イエズス会)の言葉を引きながら岩下の聖性の深まりについて話した。
 桑原さんは、岩下が師事し絶賛した新トマス主義神学者、レジナルド・ガリグー・ラグランジュ(ドミニコ会)に言及した。

基調講演を受けてコメントする桑原さん。右隣は黒住さん

 桑原さんによれば、ガリグーの思想の根底には「fides qua」(フィデス クア)と「fides quae」(フィデス クエ)との慎重な区別があるという。
 前者のfides quaとは、いわば、〝主観的〟な信仰の体験。例えば「私は信じます」という、自分の心から生まれるシンプルな信仰告白や、個人的な信仰の確信に基づく行動などに相当する。
 これに対してfides quaeは〝客観的〟なもので、「教会の信仰、信じるべき信条の集合体」を指すという。具体的には、二ケア・コンスタンチノープル信条などキリスト教の教義全体や、信仰のよりどころとなる福音のメッセージの内容等に当たる。
 桑原さんは、ガリグーや岩下がfides quaよりも、〝客観的〟なfides quaeのほうを強調していたと説明した。その上で、今の『カトリック教会のカテキズム』も同様にfides quaeに比重を置いていると指摘した。第1バチカン公会議期の岩下・ガリグーの基本的方向は、今日のカトリック教会でも基本的な指針になっていると述べた。
 桑原さんのコメントを受けて田中さんは、ガリグーが十字架の聖ヨハネをはじめとするキリスト教神秘主義に精通した「祈りの人」でもあったと指摘した。
 岩下は、かつて受講したガリグーの講義で、鋭い論理的な思考と、神秘的な真理・本質を見抜く深遠な営みとが一致する境地が存在することが示唆され、「驚喜した」と回想している。
 田中さんは、ガリグーや岩下の多面的な活動の中核をなすものは「祈りの生活」だったと結んだ。

 多彩な発表 チャレンジも

 研究発表で、日本カトリック神学院教授の阿部仲麻呂神父(サレジオ修道会)は、「ヨーロッパ近代に対応した『第一バチカン公会議の神学』についての素描――福者教皇ピウス9世の公文書を手がかりとして」をテーマに発表した。
 ヨーロッパ近代主義に対して警鐘を鳴らした教皇ピウス9世は、教会内でも批判され「誤解されてきた」という。聖ヨハネ・パウロ2世教皇がなぜ教皇ピウス9世を列福したのかを信者は考える必要があると阿部神父は語り、第1バチカン公会議を招集したピウス9世の指導力について解説した。

参加者から質問を受ける阿部神父(写真奥中央)。隣(写真奥右端)は、司会を務めた神学会事務局長の三好千春修道女(南山大学教授/援助修道会)

 青山学院大学国際政治経済学部教授・渡邊千秋さんは、幼児洗礼を受けたカトリック信徒で、第二次世界大戦後の復興を願って活動した政治家、岡延右衛門(おかのぶえもん)についての考察を発表した。岡は、宗教法人法の成立過程にカトリックの立場から働きかけた人物でもある。渡邊さんの発表は、岡を研究していくための第一歩となることを目指したものだった。
 また昨年、教皇レオ1世(390~461年)の「前期キリスト論」における位格的合一の構造について発表した上智大学神学部神学科准教授・角田佑一神父(イエズス会)は、その続きとして、レオ1世の「後期キリスト論」に焦点を当てて発表した。
 翌二日目は上智大学や東京大学の博士課程で学んでいる人たちも発表を行い、参加者から指摘や助言を受けていた。
 二日間の学術大会で扱われた時代やテーマは幅広く、多岐にわたった。様々な困難を抱える現代社会の中で福音を伝えようとするキリスト者にとって、新しい気づきにつながる視点や提言が数多く示されていた。

「旧約聖書の物語における祈りの分析-ヒゼキヤの祈りに関する一考察-」をテーマに発表する中村真希さん(上智大学神学研究科博士後期課程)
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