日本宣教学会は6月28日、第19回全国研究大会を西南学院大学(福岡市)で開催した。4人の研究者が日本におけるキリスト教会の宣教についての研究成果を発表し、オンラインも含め研究者・学生ら48人が参加した。2005年に発足した同学会は、カトリック、プロテスタント、東方教会などのキリスト教会での宣教や宣教学に関心を持つ人々の研究グループだ。
初めに、遠藤周作をはじめとする戦後の日本のキリスト教作家を研究しているマーク・ウィリアムズ教授(国際基督教大学)が基調講演を行った。ウィリアムズ教授は、遠藤や三浦綾子などのキリスト教作家らが、海外のキリスト教文学の影響を受けながらも、日本の精神風土や文学的な伝統を敏感に意識していたと指摘。そして各々がキリストの愛を生きることによって、読者の心に希望の光が差し込む作品を書き続けてきたと話した。
少数者としての使命感
続けて3人の研究者らが研究発表を行った。
日本のキリスト教史を研究している中村敏(さとし)牧師(日本伝道福音教団)は、日本と韓国の福音宣教の歴史を比較し、「日本でキリスト者であるとはどういうことか」について考察した。
韓国では約4人に1人がキリスト者だ。中村牧師の研究の出発点は「日本ではキリスト教宣教の歴史は長いのに、なぜ(人口に占めるキリスト者の割合が)1パーセントの壁を超えられず少数者のままなのか」という疑問だったという。
プロテスタントでは、日本も韓国も19世紀後半に米国人宣教師によって伝道が始められた。明治初期、日本は盛んに西洋文化を取り入れようとしたため、宣教師たちはキリスト教の伝道者としてよりも、西洋文化の紹介者として各地で歓迎されたと中村牧師は説明。キリスト教に入信したのは士族出身の知識階級の人々が多く、庶民にとっては西洋のインテリの宗教というイメージが植え付けられた。
一方韓国では、初めから庶民に向けた伝道が行われ、勤労階級や女性、特に母親に対する伝道が重視された。そして日本国内では天皇制国家主義とキリスト教の対立があったが、日本の植民地支配で苦しんでいた韓国では、キリスト教が国民と苦難を共にし、共に歩む宗教として人々の信頼を獲得していった歴史がある、と中村牧師は話した。
世間や世間体を気にかける日本人の精神性についても言及した中村牧師は、少数者である日本のキリスト者の役割をこう分析した。「選ばれた少数者としての使命感や緊張感は、信仰の維持に重要なものとなります。たとえ数の上では少なくとも、いや少数だからこそ、(社会の)権力と距離を置き、警鐘を鳴らし、『預言者』的な役割を果たすことが可能ですし、それが求められると思います」
関東学院大学の熊田凡子(なみこ)准教授は、米国福音教会の宣教師ローラ・モークの宣教活動について話した。熊田准教授は、モークの英語教育を通じた宣教活動が、日本の戦後復興を促したことを説明した。
山口通孝神父(横浜教区)は、天正遣欧少年使節の足跡を紹介。少年らが1582年に長崎を出発して、85年にローマ教皇に謁見し、90年に再び長崎に帰港するまでの足跡を、自身が実際にたどった時の現地の写真や資料のスライドを提示しながら解説した。
研究大会に参加した同学会事務局長の山岡三治(さんじ)神父(イエズス会)は、「いつも感じることですが、この研究会ではカトリック、福音派、日本キリスト教協議会(NCC)系の3グループが仲良く集まり、理論と実践が同時に語られるので、反省のみならず、大きな励ましを受けることができます。今回もとてもありがたい研究会でした」と感想を話した。
次回の同学会全国研究大会は来年6月、横浜市の関東学院大学での開催が予定されている。
