死者の日 11月2日 ヨハネ 6・37ー40など 拝啓、主任神父様

 人生最大の恩人は誰だろうと考えることがある。生者の中に大切な恩人がいることは間違いないが、「最大の」という言葉を恩人の前に補って絶えず思い起こす人々が、死者たちの中にいるのもまた事実である。長崎教区司祭・畑中栄松神父(1914~92年)はその一人だ。1983年から92年まで、地元、長崎県五島市・井持浦教会の主任司祭であった。私の年齢で言うと13歳から22歳。ちょうど長崎公教神学校に入学した中学1年から福岡サン・スルピス大神学院の哲学科2年までに当たる。時に優しく時に厳しく、常に深い愛情をもってご指導くださり、多くの信徒に慕われた司祭だったが、晩年は病気を患い、入退院を繰り返す日々であった。
 92年12月、容体が悪いとの知らせを受け、冬休みに入ったばかりの大神学校から直接、長崎市の病院に向かった。病室に入ると、ベッドの上の神父様は目を閉じたまま静かに呼吸をしておられた。「神父様、ただいま!」と声をかけると、ゆっくりと目を開け、私を認めた。そして、小さな声で「来年は神学科1年生たいね」と言われた。やや間があって、「はい」と私も小さな声で答えた。大きな声を出せば病人に障るからという配慮によるものではない。
 その後、めいに当たる付き添いのKさんに支えられながら、神父様はなんと病床からお祝いを渡された。「こいでスータン(聖職者の正装)ば作れ」「神父様、まだ早かです」「よかけん、取れ!」。受け取ってしまった後、涙がひとりでにあふれてきた。私は嘘をついたのである。翌年は神学科に進むどころか、勉強を怠けていて落第し、大神学校を休学することが決まっていたのだ。しかし、重篤の病人に向かって、どうしてそんなことが言えただろう。
 結局、それが最後の会話になった。翌朝、帰天の知らせが届いた。あんなにかわいがっていただいたのに、最後は嘘をついて別れてしまった。最大の恩人に最後にかけた言葉が嘘だったとは、世界中探してもこんな愚か者はいないと思う。
 死者の日に朗読される福音には次のような言葉がある。「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」(ヨハネ6・39)。イエスは、たとえ小さな一人であっても、それを失うことは父の本意ではないと言う。ここを読みながら「あの日…」と、私は思う。あの日、主任司祭に本当の事を話して彼を苦しめ悲しませることは、私の本意ではなかったと。
 約束の年から2年遅れてスータンは無事に完成した。落とした大学の単位を取って神学院に復学したのである。あの時のスータンを今も大事に着ている。さすがにかなりの傷みようだが、いつまでも着ていたい。そして、かの日には、そのスータンを私に着せていただきたいと願う。天国で主任司祭との再会が許されるなら、それを着て今度はきちんとお礼を言いたいと思う。
 (熊川幸徳神父/サン・スルピス司祭会 カット/高崎紀子)

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