年間第25主日 9月21日 ルカ 16・1ー13 または 16・10ー13 あなたは友となりなさい

 今日の第1朗読で、神様は人が不正に手を染め、人々を貧しい状態に追いやり、抑圧するようなことを忘れないと誓っています。福音では不正や悪いことをして友をつくりなさいとは教えてはいません。この世の富である経済力や金銭で友をつくったところで真の友情が生まれるでしょうか。今の自分にできることで友をつくることの大切さを教えています。
 福音のタイトルも「不正な管理人」ではありません。聖書原文にはそもそもタイトルはついていません。
 管理人は主人の信頼を失い、管理の職を剥奪されそうになります。これからどうやって生きていけばいいのかと、路頭に迷い、もがき苦しみ、人生のどん底を味わおうとしています。その中で自分の無力さと人に見られたくない自分の恥ずかしさを見ることになります。「自分はもう誰からも必要とされていないんだ」と。

 「人間にとって、いちばんひどい病気は 
 だれからも必要とされていないと 感じることです」
     聖テレサ(コルカタの)おとめ(マザー・テレサ)

 自分のせいで、人に迷惑をかけて居場所がなくなり、独りになる。彼は生まれて初めて自分の周りの人々に目を留めます。そして気付くことになります。「わたしの周りに同じように負い目を感じ、それにもがき苦しんでいる人々がいる」「一生懸命頑張って、力を出し尽くし、孤独のうちに人生を諦めている人々がいる」と。
 「キリストは、貧しい人や病気の人、罪びとや差別された人を思いやり、重荷にあえぐ人、希望を失った人の友となってくださいました」(『種々の機会のミサの奉献文〈試用版〉』種々の機会のミサの奉献文 四〈貧しい人の友、イエス〉から抜粋)。ミサで、わたしたちはイエス様の歩みに、心を合わせます。

 管理人も自分と同じ痛みを持った人々の友となることで、イエス様とも友となることを知りました。イエス様は今日も新しい友をつくるために、祈り、歩まれています。苦しむ人々と一緒にいる、友となる。神様がわたしたちに与えてくださったとこしえの住まいです。

 人々の小さな声、見えない痛みに敏感でありなさい
 そうすれば、大きな苦しみ、悲しみを抱えた人々の友となることができる

 主人は管理人に「お前にはもう管理は任せられない」と言いました。
 神様は代わりに、イエス様と一緒に苦しむ人々の友となる召命をお与えになります。
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

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