皆さんにとってイエス様はどのような存在でしょうか。その答えは、私たちがイエス様とどのように関わっているかによって違ってくるでしょう。
今日の福音でも、イエス様がご自分のことについて人々がどう考えているか弟子たちに問うと、さまざまな答えが返ってきました。イエス様は人々の意見を聞いた上で「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いかけられたので、私たちはこの問いを真剣に受け止め、どのように答えるかを探し求めていかなければなりません。
シモン・ペトロの答えはこうでした。「あなたはメシア、生ける神の子です」。これはイエス様との関わりの中で、普段からそう思っていたことが言葉になったペトロの素直で率直な気持ちだと思います。ペトロにとってイエス様は自分の目の前に生きておられる方であり、福音そのものでした。自分を弟子として召し出した方であり、自分の人生を決定付けた方。自分の心をかき立て、燃え立たせてくださる方。想像できないくらい自分を愛してくださり、両手を広げて包み込んでくださる方。そのような方が自分と関わっておられる。ペトロはこの短い言葉にこのようなことを込めました。
このペトロの答えを聞いたイエス様は「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と言われました。神様が働きかけなければ、神様が示してくださらなければ、私たちはイエス様が何者か分からないのです。そのような意味では、神様がペトロに働きかけ、悟らせたと言えます。イエス様はメシアであり、生ける神の子だと心から宣言することは、神様がそう気付かせてくれているので幸いなことなのです。
さらに、イエス様はペトロという岩を土台として、その上に「わたしの教会」を建て、ペトロに天の国の鍵を授けると約束されました。イエス様はペトロを選んでご自分の教会の土台とし、ご自分の教会のかじ取りを委ねた。この地上で、何がイエス様の望みにかない、何がそれに反するのか、それを決定する権限をペトロに委ねられたのです。
ペトロが使徒の頭に選ばれたのはなぜだろうか。不器用でありながら情熱にあふれ、単純で人間的。ペトロという人物を思い浮かべながらそんなことばかりを考えていましたが、イエス様が見ていたのは、ペトロがイエス様の言葉にどれほど信頼していたかということだったのではと思うのです。それはイエス様と初めて出会った瞬間から、ペトロは素直にイエス様の言葉を受け止めて、それに応えようとしていたからです。
地上の生涯をイエス様と共に、イエス様のために生きたペトロの最期は、ローマでの殉教でした。その時ペトロは「あなたは幸いだ」と言われたイエス様の言葉を思い出し、心から感謝と喜びを味わったのではないでしょうか。
(尾髙修一神父/長崎教区 カット/高崎紀子)
