大勢の人たちにイエスがわずかな食べ物で満腹するまで食べさせたという奇跡物語が本日のルカ福音書の内容です。
大群衆を前にした時の弟子たちとイエスの姿勢は対照的です。弟子たちは「群衆を解散させてください」とイエスに進言します。
解散させれば自己責任で周りの村や里へ行き、食べ物を見つけるに違いないというわけです。しかも「わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです」と自分たちの提案の正当性を主張しています。
このような弟子たちにイエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と命じます。弟子たちは「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」と答えています。
こんなに大勢では自分たちが持っているわずかな食べ物だけではどうにもならないというかのように、もう初めから諦めています。
「男が五千人ほどいた」ということは、女性や子どもを加えると、実際そこにいたのは五千人をはるかに超える人数だったということになります。この圧倒的な数を前にした弟子たちが初めから諦めてしまったのも無理からぬことです。
しかし、イエスはこのどうしようもない現実から始めようとします。
「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡し」たというイエスの所作はミサを思い起こさせます。
五千人以上の人々を前にしてわずかな食べ物しかない、その現実をイエスはまず神にささげて祈り、再びパンと魚を受け取り直します。
そのことによって食べ物は配っても配ってもなくならないものになりました。また「すべての人が食べて満腹した」と説明されています。
圧倒的な現実を自分の努力や頑張りだけで何とかしようと考えるならば、弟子たちと同じように絶望や諦めに陥ってしまうでしょう。
しかし、人間の力に頼るのではなく、神に委ねるとき、確かな恵みが与えられることを奇跡物語は示しています。
パンが増えたわけではないのに(実際、パンが増えたとは書かれていません)全ての人が食べて満腹したというのは、キリストが与えてくださるものの豊かさを表しているのではないでしょうか。
わたしたちはミサ全体を通して、またご聖体を通して、キリストの豊かさを味わいます。
(立花昌和神父/東京教区 カット/高崎紀子)
