復活祭を前に 受洗の時を振り返る「神様が見せてくださった景色」 前川朝美(ともみ)さん(東京・瀬田教会)

  カトリック教会では伝統的に、復活祭に洗礼式を行っている。今年は4月20日に復活祭を迎えるが、これまで復活祭に受洗した人たちは、その日をどう思い起こすのだろうか。2015年の復活祭に受洗した東京・瀬田教会の前川朝美(ともみ)さん(65)は、あの日の聖堂内の景色が特別に胸に刻まれていると語る。

 教会維持費も滞納 「後ろめたかった」

 朝美さんは1981年、カトリック信者で歌手の前川清さんと結婚し、東京・世田谷区の瀬田教会に足を運ぶようになった。
 清さんの両親は、潜伏キリシタンの信仰が継承されてきた集落や聖堂のある長崎県外海(そとめ)地区の出身だ。朝美さんは、夫の実家にあった聖母像を見て、「カトリックの家にお嫁に来た」ことを実感。当時、既に義父は他界していたが、信仰熱心な義母を見ながら、「カトリックの家の嫁として、役目を果たしたい」という前向きな気持ちになったという。
 キリスト教について、司祭から何度か学んだこともあった。だが「神様を感じることができず」、以後は、義姉から受け継いだ「前川家の教会維持費を教会に届ける」役割を嫁として果たすため、夫が所属する瀬田教会へ。しかし3人の子育てで忙しくなると、教会には「数カ月に一度、行くか行かないか」になった。教会維持費も滞納しがちだった。
 「教会の前を通る時はいつも後ろめたく、ミサに出ても聖堂の後ろの方でこそこそ(隠れるように)していました。誰からも信仰を強制されたことはありませんでしたが、当時健在だった義母の期待に沿うような信仰を持てず、申し訳なく思っていました」
 2007年、夫が代表取締役を務める芸能事務所の役員になると、朝美さんはさらに多忙になった。しかし子育てが落ち着いたある日、ふと「洗礼を受けたい」という願いが心に浮かんだ。経緯は覚えていないが、「自分でも驚きました」と振り返る。

 聖堂内で感じた、神様からのお恵み

 朝美さんは14年、新たな気持ちで瀬田教会を一人で訪ねた。迎えてくれたのは、自身が20代で初めて同教会に行った頃から「教会の〝主〟(ぬし)」のような存在感を放っていた信徒の森村登代子さんだった。「いつも聖堂の後ろにいた森村さんは、ミサに来た人に声を掛け、『あそこの席に(座ってください)』などと案内してくれるのです」。朝美さんは、「変わらない森村さんの風貌に驚きつつ」、懐かしい森村さんからの一言、二言の〝指南〟を手掛かりに、再び教会に通い始めた。
 瀬田教会は、フランシスコ会・聖アントニオ修道院に隣接している。受洗の準備についても、森村さんからのアドバイス通り、同修道院に住む庄司篤神父(同会)の下で始まった。「聖書を中心にしたお話の中に、神父様と神様との親しさや、清らかさのようなものが伝わってきて、うれしく思いました」
 朝美さんがその年(14年)のクリスマスに受洗を希望していると森村さんに伝えると、一言、「それならクリスマスに教会にいらっしゃい」と返ってきた。そこで朝美さんは、洗礼を受けるつもりで14年の12月24日の夜半のミサに参加した。だが洗礼式は行われず、教会には森村さんの姿もなかった。「後日知ったのですが、森村さんはその晩に倒れて入院されていました。そして後に、がんのため病院で亡くなられたのです」
 この出来事から「『まだ受洗の時ではない』と神様から言われたように感じた」と朝美さんは言う。だが森村さんから紹介された庄司神父の下で学びたいという思いは消えなかった。洗礼の準備を続け、15年の復活祭に洗礼を受けることが決まった。
 こうして同年4月4日に行われた復活徹夜祭で、朝美さんは洗礼を受けた。その時の記憶はあまりないが、「何ともいえない〝色〟に満たされた聖堂内の景色」だけが心に刻まれていると話す。
 「日暮れ前のような光がごくわずかに差し込む聖堂内は薄暗く、でも温かく落ち着いた雰囲気でした。(キリスト教国で目にする)大聖堂にも通じる、重厚な雰囲気の〝色〟でした。特別なお恵みを頂いたように感じて、そこからのスタートでした」

 聖土曜日であっても、日没以降は「復活の主日」

 実は、朝美さんは、自身の洗礼式が行われる復活祭とは、聖土曜日の翌朝、「復活の主日」のミサのことだと思っていたという。「なので、(復活徹夜祭の)洗礼式の時は普段着だったんですよ」と目を細め、懐かしそうに振り返った。
 朝美さんがそう勘違いしてしまった要因の一つには、聖週間中の、「聖なる3日間の典礼」を行う期間の分かりにくさもある。
 日没から次の日が始まるという伝統的な考え方に基づき、「聖なる3日間」の初日は、聖木曜日の日没から始まる。2日目は聖金曜日の日没から始まり、聖土曜日の日没前まで続く。この2日目は、「使徒信条」にあるように、十字架上で死んで葬られたキリストが「陰府(よみ)に下」っている段階に相当する。そして聖土曜日の日没から、翌日の主日の日没前まで続く3日目が「復活の主日」と呼ばれている。そのため、聖土曜日の晩に行う「復活徹夜祭」も、翌日の「復活の主日(日中のミサ)」も、「復活の主日」(復活祭)として祝われている。
 朝美さんは、自身が洗礼を受ける復活祭とは、「復活のお祝いパーティーがあると聞いた日曜日」だと考えた。「でも、そんな〝失敗〟を含め、振り返ると、自分に必要なことばかりだったと思います」
 その受洗式の翌日、「復活の主日(日中のミサ)」後のパーティーで皆に祝ってもらい、信徒としての「仲間入り」を実感した。手芸が好きな朝美さんは、毎週ミサ後、教会の「手芸部」(当時)の仲間と共に針仕事に精を出した。お茶当番などを担当する中で、知り合いも増えていった。

 〝誰かのために尽くすいのち〟が始まった

 近年、夫の清さんは九州での仕事が増え、生活の拠点は福岡に移っている。朝美さんは2年ほど前から福岡に住む実父の介護も始まり、東京と福岡の往復が増えた。
 ミサに参加できるのが月1度ほどになった今の朝美さんにとって、信仰の支えは主に二つある。一つは、月に1度、庄司神父から郵送される主日の福音朗読箇所の解説。そしてもう一つは、毎晩、就寝前に欠かさずロザリオを手に祈る清さんの存在だ。
 瀬田教会の主任司祭、小西広志神父(フランシスコ会)は、「(仕事と介護に奔走する朝美さんの姿を見ていて)洗礼を受けた人には〝誰かのために尽くすいのち〟が始まるということをつくづく思います。ミッション(宣教)ですね」と語る。
 朝美さんは、苦難も神から与えられた試練として受け止めるようになり、「人間として生まれた」キリストを、いっそう身近に感じるようになった。今年の聖週間は「まだ参加したことのない聖木曜日と聖金曜日の典礼にも参加してみたい」と話していた。

前川朝美さんが洗礼を受けた瀬田教会の聖堂内(写真:本人提供)
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