【バチカン4月14日CNS】カトリック信者がミサを「買う」ことはあり得ないが、司祭が奉納金を受け取って、ある人の愛する人のためか別の特定の意向のためにミサをささげる約束をした場合には、その約束を果たさなければならない、とバチカンは述べている。
「数世紀にわたる慣習と教会の規律は、個人の単一の奉納金は司祭がささげる1回のミサに対応することを求める」と教皇庁聖職者省は4月13日、公表した教令で強調している。
ただし、そうしたミサの依頼が多いか、司祭の人数が不足している場合には、献金する人々に周知され、明確な同意を得ているときにだけ、「共同の」ミサをささげることができると教令は説明する。
その場合でも司祭は、通常は「謝礼」と呼ばれる複数の奉納金のうち1件だけを受け取ることが許されている。
教区司教または修道会の管区長が、残りの奉納金をどこに納めるべきかを定めることを教令は勧めるが、集まった奉納金を教区内の経済的に余裕のない小教区または宣教地に送ることも提案している。
『新教会法典』第945条から第958条までの規定に基づく今回の教令は、1991年の同様の教令の内容を更新したもので、4月13日に教皇フランシスコによって承認され、4月20日に発効する。
ミサのための奉納金に関する教会の規範が意図しているのは、「正義の確保、つまりは奉納金を納めた人々への約束を守ること、そしてその一方で、聖なることの『取引』になる危険、またはそう見えてしまうことさえも、避けること」だと教令は説明する。
「ミサは無償」
お金は払わない
教皇フランシスコは2018年3月7日のミサ奉献文についての一般謁見講話で、あらゆるミサは全ての人のためにささげられると強調していた。
「誰も、何も忘れられることはありません」と教皇は指摘する。「そして私に誰か、親類や友人で困窮しているか、この世から去った人がいれば、私はこの時(奉献文の中で)、心のうちで静かにその人たちの名前を挙げます」と続け、またはその人のために特定の意向によるミサの挙行を依頼すると付け加えた。
教皇はその講話の中で、こう聞かれることを想定してみる。「神父様、私はいくらお支払いすればいいでしょうか」
その答えは「『ただです』。分かりますか。ただなのです。ミサにお金は払いません。ミサはキリストの犠牲であり、無償です。あがないは無償です。奉納金を納めたければ、そうしてください。でも、お金を払うのではありません」。
