アートを通じて 切れた関係の結び直しへ 福島・原町教会「いのちの光 3・15フクシマ」

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写真家・中筋純さんが講演

 「原発問題を解決するには、加害者側・被害者側といった立場の違いを超える必要がある」―。福島第1原発の事故以来、東京と福島を拠点に活動している写真家・中筋純さんは3月15日、「アートを通じて伝える原発事故」をテーマに原町教会(福島県南相馬市)で講演し、こう呼びかけた。
 この講演会は、「いのちの光 3・15フクシマ」(実行委員会主催)の中で行われた。中筋さんは、多彩な美術表現を通じて福島の原発事故を伝え、切れた関係を結び直したいと語る。併せてミサも行われ、55人が参加した。

 人間は、自然界の全てと「交信」して生きる

 中筋さんは、チェルノブイリや福島で撮影した写真のスライド上映を交え、自身が福島で活動するようになるまでの歩みを振り返った。
かつて中筋さんの仕事は、ファッション、舞台などの商業写真が中心だった。旧ソ連(現ウクライナ共和国)で起きたチェルノブイリ原発事故(1986年)のその後を取材する仕事を得て、2007年に現地プリチャピ市へ。忘れられないのは、避難先から立ち入り制限区域の同市に戻り、再び畑をつくっていた人との出会いだ。
 この出会いから中筋さんは、人間とは季節や大気、植物など自然界の全てと「交信」しながら生きる存在であることに目覚めた。畑づくりや人との関わりを含め、いのちの営みそのものとも言える「循環」を断ち切ってしまう原発事故の問題の根深さも知った。

 〝水俣〟から学び、福島へ

 中筋さんが大きく行動を変えたのは、11年の福島第1原発の爆発事故がきっかけだ。
 「自分も原発の安全神話にやられていた」。真実を知り、伝えたいと、東京から福島へ通って被災地を撮影。福島の原発事故が「福島県民だけの問題に収束されて」いく流れに抗おうと、16年から全国でチェルノブイリや福島で撮影した作品の写真展を行ってきた。
 中筋さんは、〝復興〟が進む中、放射能汚染への不安など、思いを語ることができずにいる福島の人々の苦しみに触れたことを機に、17年から22年までの間、多彩なアーティストの作品を展示する「もやい展」を福島県で4度開催した。
 「もやい展」と名付けた背景には、〝水俣病問題からの学び〟があった。
 水俣病とは、工場排水中のメチル水銀に汚染された魚介類を大量に食べることによって神経系が障害を受ける疾患。熊本県水俣市の漁師や周辺住民らが発症し、患者への差別が問題化した。1968年、国はチッソ株式会社(以下、チッソ)による公害病であることを認めたが、チッソの責任を追及し、補償を求める患者運動は新たな差別の対象となった。
 患者とチッソ・国の間で対立が深まっていた当時、運動の急先鋒だったのが、水俣病の患者で漁師の緒方正人さんだ。
 講演の中で中筋さんは、自身が福島の問題に取り組んでいくための手がかりとして、緒方さんが語った二つの言葉を取り上げた。
 一つは、「チッソは、実は俺なのではないか?」という問いだ。緒方さんは、この言葉によって「自分たち被害者も〝原罪〟を背負っている」と指摘している。ここで〝原罪〟とは、自然界に生きる誰もが〝人間として背負う罪〟を指す。公害をもたらす社会システムを、水俣病患者が「知らず知らずのうちに」利用していることも〝原罪〟に当たるという考え方だ。
 福島の原発問題でも、被害者が東電や国に「責任を集約させる」ことはできる。だがそれを乗り越え、「自分にも加害側と共通する〝罪〟があるのではないか」と問うていくことが大切だと中筋さんは語る。
 二つ目は、「もう一度、『もやい直し』ができないだろうか」という言葉だ。「もやい」は、一つの作業を共に行うことや、複数の船をつなぐ綱の結び方を指す。緒方さんの造語とも言われる「もやい直し」には、切れた関係をつなぎ直すという意味がある。
 水俣病では患者によって賠償や認定に違いがあった。地元にチッソの社員やチッソに親戚が勤めている患者もおり、人間関係は複雑だ。緒方さんは「チッソ側か、我々患者側かという二元論では、この問題は解決できない」との結論に至り、患者運動を離脱。こうして「自分の中にあるチッソ」を見つめるところから、関係を結び直そうとしていく。90年代、水俣市がコミュニティーの再生に向けて着手した事業の名も「もやい直し」だった。

 原発事故を「みんなで」伝えていく

 「美術表現による伝承活動が、『もやい直し』の第一歩になるのではないか」。中筋さんはそう考え、2023年7月、福島第1原発から20キロ圏内の南相馬市小高(おだか)区に、福島の原発事故を伝える美術館を開いた。地元出身の作家など、原発被災地にゆかりのあるアーティストの作品を展示する「おれたちの伝承館」だ。
 施設名にある「おれたち」は、男性を意味する「俺たち」ではなく、地域によっては女性も男性も「おれ」と名乗る文化があることから、「みんなの」を意味している。
 「アートは主義主張や正義を語るものではなく、作家がその時に感じた感情を作品として発露させるもの。作家の揺れ動く気持ちの代弁でもあると思います」(中筋さん)
 「伝承館」は、絵画や詩・短歌のほか、花を植える作業など、原発事故を表現した多彩な〝作品〟によってあらゆる人を迎え、問いかけ、声にならない声をすくい上げようとしている。一人一人がその声に気付くことが、関わりを結び直す「もやい直し」につながると考えるからだ。中筋さんは講演を聞く人たちに向け、「皆さんもぜひ来て、(伝承館の活動に)参加してほしい」と話した。

 「知ったことを周りの人に伝えたい」

 講演後のミサは、原町教会を担当している幸田和生(かずお)東京教区名誉補佐司教が主司式した(ミサ説教)。
 大阪府に住む中井瑠音(るね)さん(20)は、大阪高松教区の社会活動センターシナピスが主催するスタディーツアーを通じ、この集いに参加した。「福島の原発事故についてほとんど知らず、無知だからこそ差別的になってしまうことに気付きました。知ったことを周りの人に伝えたい」と話す。
 「いのちの光 3・15フクシマ」は、福島第1原発が3度目の爆発を起こした3月15日に合わせ、毎年2日間、福島県の信徒ら仙台教区の有志が実施している。
 12回目の今年は16日、仙台教区カテドラル元寺小路(もとてらこうじ)教会(仙台市)で、内部被爆の治療をライフワークとしている医師・西尾正道さん(北海道がんセンター名誉院長)の講演会も開催された。

写真家・中筋純さん

リンク

・「おれたちの伝承館
ミサ説教

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