米軍横須賀基地のある神奈川県横須賀市では、毎月最後の日曜日、市民が反戦と平和を呼びかけて街を歩く「月例デモ」(主催=「非核市民宣言運動・ヨコスカ」「ヨコスカ平和船団」)が半世紀前から続いている。
「軍都解体」を基本スローガンとしながらも、「街との対話」を大切にしてきたデモ。600回目となった1月25日は、「街の皆さん」への感謝の気持ちを込めていつものデモを行ったほか、市内の公共施設で「感謝の集い」も行われた。沖縄や九州、関西など遠方からも65人が集まり、地元横浜教区の司祭や東京教区の信徒も参加した。
〝力〟はないが、「楽しく、小さく」続いてきた月例デモの歩みを皆で振り返り、それぞれに感謝する気持ちを新たにした。
街の皆さんに「ありがとう」
「月例デモ」は、京浜急行「汐入」(しおいり)駅(神奈川県横須賀市)から200メートル余りのヴェルニー公園から出発する。公園は目の前が横須賀本港、港の対岸に米海軍施設が広がるという立地だ。参加者は午後4時に公園に集まり、1時間ほど市内を行進する。

600回目のデモを始める前、主催する2団体で活動してきた新倉裕史(ひろし)さんが挨拶に立った。
このデモの前身は、1972年2月、米空母ミッドウェーの横須賀港母港化に反対して「ヨコスカ市民グループ」が始めたデモ。母港化とは、艦船が特定の港を恒常的な拠点として使用することをいう。
73年10月、米軍は市民による反対運動が続く中、横須賀港をミッドウェーの母港とした。同グループはこの問題に取り組み続けるため、名称を「非核市民宣言運動・ヨコスカ」に変え、76年2月に月例デモを始めた。
現在、月例デモを一緒に行っている「ヨコスカ平和船団」は、「軍港で遊ぶ」をモットーに活動している市民グループ。デモの日の午前中、「おむすび丸」という名前のヨットで、海上から米軍の艦船の入港状況などをチェックしている。
新倉さんは言う。「当初は月例デモに参加者が集まらず、(精神的に)堪えました」。参加者がたった5人だったこともある。だが「規模が小さくなった」ことで、デモを「助けなければ」と思う人々も現れた。月例デモは特定の団体が実施するデモから、「地域のデモ」とも言える活動に変容し、現在は、毎回30~40人が参加する。
新倉さんは、「デモに参加していなくても、街の中の皆さんが『やっていいよ』と言って(温かく見守って)くれているように感じてきた」と語り、「今日は、街の皆さんに『ありがとう』という気持ち」だと、挨拶を結んだ。
「戦争に行かないで」
デモは、「原子力空母の横須賀配備 NO(ノー)」と書かれた横断幕を先頭に出発した。横須賀では、初の原子力空母の配備計画を知った市民が空母の原子力事故を心配し反対運動を続けていたが、2008年、原子力空母ジョージ・ワシントンが配備された。

呼びかけた後、米海軍基地に向かう参加者たち
海上自衛隊横須賀地方総監部の前に着くと、このデモのトレードマークとも言える、1台のリヤカーが総監部の柵の前に進み出た。
リヤカーには、2メートル未満の高さにスピーカーが二つ取り付けられている。デモからの「語りかけ」が離れた相手に届きやすく、ハウリングしにくいよう改良を重ねた手製の音響システムだ。
スピーカーから、参加者の一人が「戦場へ行かないで」「(基地に反対するのは)自衛隊の皆さんにも、無事でいてほしいから」だと呼びかけた。
米海軍横須賀基地のゲート前では、英語で「戦場に行かないで」などと語りかけ、最後に「来月、また来ます」と伝えた。
月例デモを支えるのは、音楽を通じてメッセージを伝える活動をしている市民グループ「よろずピースBAND(バンド)」。メンバーが管楽器や打楽器などを使って演奏するリズミカルな曲に合わせ、デモの参加者は「そうさ もうやめよう~」「戦争やめよう~」などと歌いながら歩いた。

「武器より歌を!」と訴えるプレートが
デモも「巡礼」だと思う
「感謝の集い」では、月例デモの写真や資料をスライド上映し、半世紀にわたる歩みを振り返った。
当日、参加者に配布された記念誌の紹介もあった。この記念誌は、試行錯誤が続く運動の中で編み出された数々の知恵や逸話を収めたもの。
記念誌によれば、「継続は力なり」と言うが、デモのメンバーはむしろ「(自分たちに)力がない」からデモを続けているのが「実態」だという。「当番を決めるより、『誰か』は必ずいる、と信ずることが、私たちの運動」という姿勢もデモの中で生まれた。
また、米海軍の警備艇が「おむすび丸」のワイヤーを切断した翌日、米海軍から「謝罪したい」という、「あるはずがない」電話が入ったことがある。その奇跡のような出来事の根源には、基地ゲート前で米兵との「対話」を求め続けた一人のメンバーの活動があったとも記念誌は分析している。
デモの新メンバーとして、横須賀市に住む名生尚雄(めお・たかお)さん(同市・横須賀三笠教会)も挨拶した。
名生さんは以前から月例デモの存在を知っていたが、昨春から市民の運動に目覚め、個人的に参加するようになったという。50年にわたる「苦難の歴史」の中で形作られた月例デモは、「一つのお祭り」であり「(平和を祈念する)巡礼」だと思うと話した。

名生尚雄(めお・たかお)さん(中央)
各地からの参加者も、それぞれの思いを述べた。
沖縄戦の戦没者の遺骨を収集するボランティアグループ「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんは、戦争に反対する各地の運動が連帯すれば、「国民行動になる」と強調。武力によらない平和を実現するには、まず「私たち国民が主権者」だと自覚することが必要だと話した。
最近、月例デモに参加するようになった認定NPO法人原子力資料情報室スタッフの高野聡さん(横須賀市在住)は、自分のような「新参者も打ち解けやすい雰囲気」は、月例デモの「レガシー(伝統)だと思います」。デモを地道に続けてきた人たちのおかげで今の自分の行動もあると、感謝の気持ちを表した。
