ガリラヤ湖畔の町カファルナウムを拠点にしてイエスが宣教活動を開始したこと、またイエスの呼びかけに応えて従う弟子を招いたこと、さらにはイエスの宣教によって多くの人たちがそばに集まって来るようになったというのが本日のマタイ福音書の内容です。
旧約のイザヤ書からの引用が語られているのは、イエスが「暗闇に住む民」にとっての「大きな光」であり、ガリラヤ地方から宣教活動を開始したのは神のご計画なのだということを強調するためでしょう。
「悔い改めよ、天の国は近づいた」というのが宣教活動を開始したイエスの第一声です。
悔い改めとは回心とも呼ばれ、方向転換をするという意味です。神に背を向けていたり、神から離れていたりする自分に気が付いて神の方に向き直るというのが悔い改めです。
天の国とは場所や空間のことではなく神による支配が実現している状況、状態のことです。「天の国は近づいた」というのは、ここでは人間を救うために神の方から近づいてくださったということを表します。
人間を救うために神の方から近づいてくださっているのだから、神の方に向き直りなさいというのが「悔い改めよ、天の国は近づいた」ということです。
宣教活動を始めたイエスは、まず弟子を招いています。イエスに従っていくに当たって四人の漁師は舟や網を捨てています。また父親を後に残しています。これはイエスに招かれた時に全てを捨ててすぐに従っていく理想的な弟子の姿でもあります。
漁師にとって舟や網は財産です。父親は家族です。それらを捨てたというのはイエスに出会うことによって価値観を変えられた者の姿を表しているのかもしれません。財産よりも価値のあるものがある、血のつながりによる家族を超えるもっと大きな人間の関わり(神を中心とする家族)があることに目覚めたということです。
イエスの宣教活動の特徴は「ことば」と「しるし」です。
神の恵みと力はこの世界にも、わたしたち一人一人にも確かに与えられていることを示すために、イエスは「しるし」として数多くの奇跡を行ないました。そのために大勢の人たちがイエスの周りに集まって来るようになります。「ことば」による宣教とはイエスはたとえ話を通して教えたということです。
本日の福音では「ことば」による宣教よりも「しるし」による宣教の方に重点が置かれ、人々を苦しめているさまざまな病を癒やすイエスの働きが際立っています。
(立花昌和神父/東京教区 カット/高崎紀子)

