聖人が伝えた信仰に感謝 平戸ザビエル祭 長崎・平戸地区

 聖フランシスコ・ザビエルが長崎県・平戸で宣教を始めてから475年目に当たる今年は、カトリック教会の聖年でもある。この二つの節目を記念し、平戸文化センター大ホールで12月14日、平戸地区の八つの小教区合同の「平戸ザビエル祭」が開催された。古巣馨(ふるす・かおる)神父(長崎教区)の講演と記念ミサが行われ、各教会学校の子どもたちが作成したザビエルの生涯や働きを紹介する展示もあった。県内各地からの巡礼団も合わせ1000人余りが集い、ザビエルがこの地に伝えた信仰に感謝するとともに、福音宣教への思いを新たにした。

 ザビエルの傍らに立つ

 古巣馨神父は、「ザビエルー立ち上がる人―」と題して講演した。
 「今日はこれからザビエルのこと、日本の教会のことを、私たちのこれからの信仰のことを祈りながら、一緒に小さな黙想をしましょう」

講演した古巣馨(かおる)神父


 古巣神父は始めに、自身の信仰と召命の歩みについて語った。小神学校への入学を導いた「平松(一夫)神父様からは(信仰を)教えてもらい、母からは(その生き方から信仰を)伝えてもらいました」。
 古巣神父は「日本の教会は475年前、フランシスコ・ザビエルからイエス様のことを、教会のことを教えられたのではなく、伝えてもらったんです」と話し、聖フランシスコ・ザビエルの生い立ちと宣教人生を説明した。イエズス会の宣教師として1549年に来日したザビエルは、50年に平戸に到着。ザビエルが最初に洗礼を授けたのは、後の福者セバスチャン木村司祭の祖父だった。続けてその家族も洗礼を受けている。
 ザビエルの滞在期間はわずか2カ月だったが、以来475年間、平戸では信仰が途絶えることはなかった。古巣神父は「平戸はザビエルが育てた最も古い教会共同体なんです」と語った。そしてザビエルが列聖された1622年は、元和(げんな)の大殉教でセバスチャン木村が殉教した年でもあることを記憶するよう、呼びかけた。
 古巣神父は日本におけるキリシタン迫害や殉教、戦争や原爆の苦難にも言及した後、「立ち上がる教会、立ち上がる人の傍らにはいつもフランシスコ・ザビエルがいるんです。長崎の教会も今立ち上がるときです。だからもう1回ザビエルの傍らに私たちが立つ必要があります」と、今を生きる私たちの信仰は、ザビエルの信仰と確かにつながっていることを強調した。

 一人一人が先駆者

 記念ミサは中村倫明(みちあき)大司教(長崎教区)が主司式し、平戸地区の司祭たちが共同司式した。
 説教で中村大司教は、今年10月に長崎市の西坂公園に設置したセバスチャン木村と204殉教者のレリーフ(→関連記事)を紹介。日本人司祭として、殉教によって命をささげた最初の司祭であるセバスチャン木村は「私たち日本の誇り、この平戸、地元の誇りです」。

聖フランシスコ・ザビエル像に献香する中村倫明(みちあき)大司教


 中村大司教は「日本の始まりは誰一人信者がいないところから、ザビエル神父様がやって来られ、長崎の教会が始まっていくんです。どうぞ諦めないで、落胆しないで、私たちも福音宣教を行っていきましょう」と信徒たちを励ました。そして一人一人が、洗礼者ヨハネ、ザビエル、セバスチャン木村のように次の世代の人々に信仰を伝える「先駆者」であることを自覚するよう呼びかけた。

 宣教師の働きに感謝

 平戸ザビエル祭に参加した紐差(ひもさし)教会の川渕康子さん(64)は、古巣神父の講演でザビエルの働きを詳しく知ることができたと話した。「ザビエル神父様が475年前に信仰を広めてくださったことに感謝しながら一緒にお祈りできて良かったです」
 同じく紐差教会の藤田由美代さん(67)は信仰を伝えていきたいと話し「平戸にはザビエル神父様が(信仰を)伝えてくれましたが、(禁教令が解かれてから)紐差教会にもフランスから(ジャン・フランソワ・)マトラ神父様(パリ外国宣教会)が来られて、40年間宣教師として働かれました」とザビエルと同じように平戸の教会のために働いた宣教師をたたえた。

聖フランシスコ・ザビエルの軌跡についての展示を見る子どもたち。
教会学校の子どもたちは教会ごとに割り振られたテーマについて、司祭、修道者と共に
1年かけて絵や文章で展示を作成。当日はスタンプラリーで展示を巡って、
聖フランシスコ・ザビエルのことを学び、意識を高める機会になった
(中濱斎子〈いつこ〉修道女〈69/お告げのマリア修道会〉談)
1000人余りが集い、ミサをささげた
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