「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク」主催の「死刑執行停止を求める諸宗教による祈りの集い」が12月9日、東京・港区の心光(しんこう)院(浄土宗)本堂で開かれた。死刑に関わる全ての人に思いをはせた八つの宗教の代表者による祈りとメッセージに続き、ミニコンサートが行われ、四つの市民団体が死刑制度の問題点を訴えた。会場には宗教者ら約40人が集まり、オンラインでも同時配信された。
被害者が癒やされるためには
初めに集いの会場である心光院の戸松義晴住職が経を唱え、祈りをささげた。戸松住職は、今年10月にローマで開かれた聖エジディオ共同体の祈りの集いに参加した。その際、同共同体事務局長から浄土宗の死刑廃止への取り組みについて問われたという。今回の会場提供は「仏様のご縁で、自然な流れで」行われたと話した。

カトリックからは松浦悟郎司教(名古屋教区)が登壇。松浦司教は、カトリック教会は長い間、特別なケースを除いて死刑を完全に否定していなかったが、前教皇フランシスコが2018年に死刑廃止を明言したと説明した。現在、日本の教会は、死刑が執行されるたびに抗議声明を出しており、死刑制度廃止に向かって歩んでいるとも話した。
しかし日本の現実に目を向けると、死刑は「遺族の気持ちを思うとやむを得ない」という意見が多く、死刑に賛同する人が8割を超えている。松浦司教は、この現状を乗り越えるためにはどうすればいいか、という視点で語った。
「確かに遺族は、被害者は、死刑を含め加害者を罰することで一時的には良かったと思うかもしれない。しかし、加害者を罰しただけで癒やされることはほとんどないと思います」
松浦司教が読んだある遺族の証言には、加害者に死刑が執行されると支援者は「執行されて良かった」と離れて行ってしまい、遺族はその後も続く自分の苦しさを話すことができず、孤独になっていったことが書かれていた。「遺族が一番知りたいのは、(被害者が)なぜ殺されなければならなかったのか、その人(加害者)は自分がしたことをどう思っているのかということです。もし(加害者が)心からの謝罪もせずに死刑になったら、癒やされるどころか(遺族には)苦しみが続くのです」。
松浦司教はさらにこう続けた。
「加害者が心から謝罪し、自分の人生をかけて償うと言えば、(遺族は)ゆるせなくても少しずつ心のどこかで癒やしを感じるに違いありません。完全に癒やされるのは、被害者が加害者を心からゆるすことができたときです」。
松浦司教は和解への希望を失わないために「死刑ではなく、加害者の謝罪と償いを通して、加害者と被害者が少しずつでも近付くことで、両者が癒やされる道を取ってほしいと心から願います」と語り、祈りをささげた。
日本聖公会の卓志雄(たく・じうん)司祭は、家族を殺害された経験を話した。父親はカルト集団の活動を追っていたジャーナリストだったが、31年前にその集団の信徒に殺害されてしまう。犯人は死刑宣告を受けたが、その後無期懲役となり、最終的には懲役15年に減刑された。それは遺族である卓司祭らが嘆願した結果だ。
「人間の命は神様が与えられたたまもので、人間は神の似姿、尊い存在です。それを人間が殺すのはあり得ません。その事件の真実が明らかにならないまま、犯人がこの世から去るのはいかがなものかと思い嘆願しました」
犯人は現在社会復帰しているが、卓司祭は自身の正直な気持ちをこう吐露した。「神様のみことばは分かっていますが、(父親を殺された)その痛み、苦しみを考えると、あの犯人はこの世からいなくなってほしいという気持ちは正直ありました。今もきれいごとで死刑廃止ということを偉そうに言えません。人間なので悩んでいます」
その上で卓司祭は、死刑について、命について、一人一人が関心を持って真剣に考えることの大切さを強調し「一番怖いのは無関心だと思います。共に考えていきたいですし、悩んでいきたいです」と呼びかけた。
この他にも、仏教、神道、キリスト教の代表者らによる祈りとメッセージが続いた。
バプテスト派の牧師と信徒のグループ「ギターな三人」が、「死んでもいい命、殺してもいい命は一つもない」という思いを込めたギターの弾き語りを披露し、四つの市民団体が死刑制度の問題点を訴えるアピールを行った後、献灯が行われた。ギターの優しい音色で聖歌『キリストの平和』が鳴り渡る中、参加者たちは祈りを込めてろうそくに灯をともし、本尊前の献灯台にささげた。


