四旬節第5主日 4月6日(ヨハネ8・1―11)
罪を犯したことのない者
四旬節第5主日を迎えた私たちは、ごミサの中で読み上げられる福音朗読を共に拝聴することによって、姦通の現場で捕らえられたという女の人とイエス様との出会いに、いわば立ち会うのです。
朝早い時分の出来事とされているので、姦淫の臥所で捕らえられてそのままに、イエス様が民衆にお話ししていらっしゃった神殿の境内に連れて来られたのでしょうか。
それにしても奇妙なのは、捕らえられて連れて来られたのは女の人だけで、一夜を共にしたはずの男の姿がないことです。
女の人を皆の真ん中に立たせると、律法学者たちやファリサイ派の人々は、イエス様を言葉の罠にかけて訴える口実を作ろうとして次のように切り出します。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」
身を低くして、指で地面に何かを書き始められるイエス様に対して、彼らは執拗に問い続けます。
イエス様は立ち上がると「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石をなげなさい」とおっしゃり、また身を低くして地面に何かを書き続けられます。
全ての者に罪がある、「罪を犯したことのない者」に自分は属さないことに気が付いたのでしょうか、律法学者やファリサイ派の人々が、「年長者から始まって、一人また一人と」立ち去っていきます。
ただ一人、人を裁くことがおできになるはずのイエス様は、最後に残されたこの女の人に語りかけます。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
イエス様は、ゆるされた者としてこの女の人が、本当の意味で自分を大事にして生きていくことを望まれています。
そのイエス様のまなざしは、この四旬節において自分の罪を見つめる私たちにも温かく注がれているのです。
この感動的な福音を読む私たちには、天国に行ってイエス様ご自身から教えていただくまでは隠されている謎が残ります。
それは、この時イエス様が指で地面に何を書かれていたのかということです。
想像の羽を広げてみたときに、昔の告解の本にあった、準備のための罪のリストのようなものを書いていらっしゃったのかとも思います。
神様しか知らないはずの彼らの隠された罪を、地面に書いていたという説を読んだことがあります。
また、ダニエル書の「スザンナ」の箇所(フランシスコ会聖書研究所訳ではダニエル13章、新共同訳では同書補遺として続編に所載)も、律法学者やファリサイ派の人に過ちを気付かせる箇所ではないかと思います。
イスラエルの長老たちが自分の欲望のために、スザンナという女の人を姦淫の罪に陥れようとしますが、ダニエルの知恵によって偽証であることが明らかになり、悪い長老たちが逆に死刑になる物語です。
イエスの元に女の人を連れてきた彼らの本当の意図も、イエス様を訴える口実をでっち上げようとする欲望からのものであったからです。
(髙橋愼一神父/横浜教区 カット=高崎紀子)
