死刑に関する地域会合 東アジア大会開催 日本の現実も共有 共に死刑廃止へ

 東アジア各地で死刑廃止を目指して活動する人々延べ520人余りが、11月7日から9日まで東京・品川区に集って各国の状況を学び合い、死刑廃止に向けて共に歩む決意を新たにした。
 世界は、死刑廃止国が増える傾向にある。10年以上執行停止(モラトリアム)が続く国を合わせ、廃止国は過半数に及ぶ。日本を含む東アジアでは今も死刑を執行している国・地域が少なくない一方、韓国のように約30年間執行を停止している国もある。
 こうした中で開かれた「死刑に関する地域会合 東アジア大会」。3年ごとに「世界死刑廃止会合」を開催しているフランスのNGOアンソンブル・コントル・ラ・ペーヌ・ド・モール(略称ECPM)が主催し、日本のNPO法人監獄人権センター(CPR)などの協力で開かれた。
 東アジアの六つの国・地域(中国、日本、モンゴル、北朝鮮、韓国、台湾)とマレーシア、シンガポール等から、市民運動家、政治家、弁護士、学識者、ジャーナリスト、元死刑囚らが参加した。全体会や分科会を通して開催地日本の状況について学び、また東アジアの各国・地域の状況も分かち合った。

 日本の現状、課題

 東アジア地域では、15年にモンゴルが同地域初の死刑廃止国となり、韓国はモラトリアムを約30年継続している。現在、死刑執行を続けているのは中国、北朝鮮、台湾、そして日本だ。
 日本でも22年7月からモラトリアムが続いていた。死刑廃止を望む国内外の人々の間では、日本も韓国のような〝事実上の死刑廃止国〟になる可能性が期待されていたが、今年6月に1人に執行された。一方、死刑囚として46年間の獄中生活を余儀なくされた袴田(はかまた)巌さんが24年に再審無罪を勝ち取ったことを契機として、死刑制度の是非や刑事司法の問題点などについて社会的議論が生まれ、諸外国からの関心を集めている。
 この大会には袴田さんの姉、秀子さんも参加し、初日に「死刑の声」と題して証言を行った。
 2日目の全体会「透明性を求めて:死刑判決を受けた人々の拘禁環境」では、3人の講師が死刑囚の処遇を巡る不透明性について日本、韓国、北朝鮮の事例を検討した。
 日本の死刑制度に関する情報を発信するサイト「CrimeInfo」(クライムインフォ)の共同創設者で、東京経済大学現代法学部教授の田鎖(たぐさり)麻衣子さんは、日本の死刑制度を「密行主義」だと説明した。「密行主義」とは、制度の実態が外から見えにくい運用のこと。
 田鎖さんは、密行主義の特徴として①政府が基本的な情報を公開しない②死刑囚が外の社会とほとんど交流できない③死刑の執行日が事前に本人に告知されない―ことを挙げる。
 実際、死刑囚に執行が知らされるのは「当日の朝」だ。田鎖さんによると、事前に知らせない理由は、動揺を防いで確実に執行するためであり、死刑囚の心の安定のためではないという。事前に告知されないため、死刑囚も家族も「今日は執行されるかもしれない」という不安の中で毎日を過ごすことになる。
 田鎖さんは、こうした密行主義は「人間性を否定する」ものだと指摘する。「十分な情報に基づく理性的な判断によってこそ制度の改革は実現する」と語り、死刑制度廃止のためには情報公開と透明性が必要だと強調した。
 日本が明治時代から採用している首吊りによる絞首(こうしゅ)刑についても、刑を執行する装置の図を示しながら説明した。

 死刑制度を根本から検討するために

 「死刑廃止に向けた道筋~政治との対話を促進する」をテーマにした分科会は、日本弁護士連合会(以下、日弁連)元会長の中本和洋さんによる基調講演で始まった。
 中本さんは、16年に死刑廃止に向けて取り組み始めた日弁連が提案し、24年に設立された「日本の死刑制度について考える懇話会」について、次のように紹介した。
 世論調査では日本国民の約8割が、死刑は「やむを得ない」と回答している。だが、この世論は死刑に関する情報が国民に届いていないことの結果と考えられることから、同懇話会は政治家、刑法学者、元検事総長、元警察庁長官や、メディア、労働団体、宗教界、犯罪被害者団体の代表らをメンバーとして設立した。
 懇話会によれば、死刑とは「人権の基盤にある生命そのものの全否定を内容と」するもの。しかも「誤判・えん罪の可能性が常につきまと」い、誤判により執行に至れば「取り返しのつかない人権侵害となる」。そのため、国民の8割が死刑を支持していることも、今の死刑制度を何の改革・改善も行わないまま存続させることの理由にはならないとい うのが懇話会の認識だ。
 同懇話会は12回の会議を経て24年11月に報告書をまとめ、早急に、国会および内閣の下に死刑制度に関する根本的な検討を任務とする公的な会議体を設置することを提言している。
 この分科会では、日本には死刑廃止を望みながらも選挙での落選を恐れて廃止を訴えられずにいる政治家が存在することから、そうした政治家を市民が支えていく必要性を確認した。

分科会「死刑廃止に向けた道筋~政治との対話を促進する」
では(写真奥左から)モンゴル、日本、マレーシアの
政治家と、聖エジディオ共同体のマリオ・
マラッツィティさん(写真奥右)が発言した
 重大な「嘘」がある

 カトリック教会は長らく、死刑が共通善を守るために容認できる手段であると考えてきたが、2018年に『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する内容を改訂した。
 改訂版では、今日の人々の意識や状況の変化も踏まえ、教会は「人格の不可侵性と尊厳への攻撃」である死刑は許容できないと教え、また、「全世界で死刑が廃止されるために決意をもって取り組みます」と述べている。
 前掲の分科会にはカトリック教会の国際NGO聖エジディオ共同体のマリオ・マラッツィティさんも登壇し、スピーチを行った。

マリオ・マラッツィティさん


 マラッツィティさんは、武器や再軍備、処刑によって広がる「死の文化」ではなく、市民と社会を唯一、真の意味で守る「命の文化」を築くことの重要性を強調した。そして死刑制度が維持される中、人々の認識や主張に二つの重大な「嘘」があると問題視する。一つは、被害者家族が愛する者を失った痛みに、復讐という「別の死」が平穏や決着をもたらすという嘘。もう一つは、殺人者の死を望まない者は殺害された親族への愛が浅いという嘘だ。
 マラッツィティさんは3日目の閉会式でも登壇し、再度「命の文化」を強化することの重要性を強調した。
 日本では毎年1000人弱が暴力によって命を落としているが、自殺の犠牲者は年間2万人に上る。マラッツィティさんは、日本が命を守るためにすべきことは死刑という「非人道的で無意味な近道」ではなく、「真の問題」に取り組むこと、つまり「生命の価値と美しさを尊び、崇める社会を築くこと」だと指摘した。
 最後に、死刑廃止を望む「アジアの運動と世界の運動は結束できる」「私たちはあなた方と共に立つ」と力強く呼びかけた。
 この大会の後援団体の一つ、イエズス会社会司牧センターの柳川朋毅さんは3日間を振り返り、「学び合うだけでなく、国の枠を超えた老若男女が出会い、交流することができたことが、今回の地域会合の一番の収穫だった」と言う。
 柳川さんは特に「若手アンバサダーによる死刑制度廃止のための国際ネットワークづくり」という非公開の分科会で、青年たちの交流に「既存の運動を大きく打ち破る、新しいエネルギー」を感じたという。26年にフランス・パリで行われる世界死刑廃止会合(ECPM主催)に向けて、「確実なステップを築くことができた」と手応えを語った。

ワークショップで自国の死刑制度の問題を語り合う
(写真手前、左から反時計回りに)シンガポール、
マレーシア、韓国、そして
中国北西部ウイグル地域からの参加者たち
閉会式では、ウイグル地域からの参加者らが2017年に
中国で死刑判決を受けたティヨ・タシュポラト氏
(当時、中国・新疆〈しんきょう〉大学学長)の
無実と死刑廃止を訴えた(写真左端は同氏の兄)
 「死刑廃止を」―被害者家族の思い

 会場には、1983年に愛知で起きた「半田保険金殺人事件」で弟を殺害された原田正治さんの姿もあった。原田さんは加害者である長谷川敏彦死刑囚の執行停止を求めて嘆願活動を続け、2001年の執行後も被害者家族として死刑廃止を訴え続けている。

原田正治さん(写真提供:本人/写真右)

 この大会で原田さんの心に残ったのは、マレーシアから参加した一人の加害者家族との出会いだ。死刑囚の弟が前月8日に執行されたばかりで心に強い痛みを抱えるその参加者と、言葉は通じなくても心を通わせ、互いの存在を深く喜び合ったという。
 原田さんはワークショップの一つで自身が死刑廃止を望むようになった経緯を説明したが、終了後、改めて自身に起こった心の変化を次のように本紙に語った。
 原田さんが被害者家族として加害者と初めて面会したのは、事件の10年後だった。「(相手を)憎んでも憎み切れないほどでしたが、面会を重ね、謝罪の心に触れるうちに少しずつ穏やかになって。そして死刑廃止を望む人たちの話を聞くうちに、死刑があっていいのかどうかと、自分自身が揺れだした」。生命の意味を深く見つめながら「死刑廃止へと傾いていきました」。
 それでも当時は、「頭では死刑廃止をと思いながら、心の底では加害者を死刑にと望む」状態だった。そんな中で「とどめの一発」となったのが、プロテスタントの牧師が語った「人の命を奪うことができるのは、神以外にない」という一言だったとこう振り返る。
 「それは、人の命を左右することは、(人間には)一切許されていない、ということ。『なるほどなぁ!そうだよなぁ!!』と(はっきりしました)。あれから40年。僕は今も神の存在を信じているわけではないけれど、僕にとって不思議な、忘れられない言葉です」


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