セバスチャン木村と204殉教者レリーフ除幕式 日本カトリック神学院に続き長崎・西坂公園にも設置

 殉教者セバスチャン木村のレリーフが、日本カトリック神学院に続き(→関連記事)長崎市の西坂公園敷地内にも設置され10月26日、長崎教区主催で除幕式が行われた。セバスチャン木村は1622年の元和の大殉教で、54人の信者らと共に西坂で殉教した日本人最初の司祭。1867年に列福された「日本205福者殉教者」には元和の大殉教での殉教者52人が含まれている。2023年からは「福者セバスチャン木村司祭と204殉教者」と呼称が変更された。
 中村倫明大司教(長崎教区)が司式した除幕式には、聖歌奉仕者や司祭、修道者、信徒ならびに一般市民も含む100人余りが参加した。セバスチャン木村と同じイエズス会のレンゾ・デ・ルカ神父(日本二十六聖人記念館館長)や川村信三神父(同会日本管区長代理として出席/上智大学教授)、長崎市長代理で長崎市文化観光部世界遺産室室長の栗脇善朗さんも参列した。
 式の初めに中村大司教は、この日集まった参列者だけでなく、西坂公園を管理する長崎市や、日々公園の維持に関わっている人々への感謝を述べた。
続けてレンゾ神父が、この地にレリーフが建てられた理由を説明した。
 レンゾ神父は、現代のように司祭の召し出しを受け、それにふさわしい準備をすれば叙階されるということが、その当時は当たり前のことではなかったことを強調した。セバスチャン木村が日本人で初めて司祭になったことは「教会の歴史としては本当に大きなワンステップでした。400年前、宣教師たちが(日本に)来たとしても、地元の人たちが洗礼を受けたとしても、その人たちが修道士あるいは司祭になって教会のリーダーになるという感覚は残念ながらありませんでした」。
 そしてローマのジェズ教会にある『元和の大殉教図』の真ん中に、セバスチャン木村が描かれていることを紹介した。レンゾ神父は、一人一人が殉教者たちを自分の「仲間」だと思うよう呼びかけ、「これからも日本で司祭への召し出し、また修道士、修道女への召し出しが増えるよう、殉教者たちが天国で支えてくれるように」祈った。
 レンゾ神父の講話の後、中村大司教と川村神父、西坂教会の英語ミサ共同体の子どもたち3人が除幕の綱を引くと、レリーフが姿を現した。中村大司教はレリーフを祝福し、ここを訪れる人々が「殉教者の証しに励まされ、真の愛とかけがえのない命の尊厳を守るために生きる」者となるようにと祈りをささげた。

 除幕式の様子はカトリック長崎大司教区家庭委員会のYouTubeで視聴することができる。       

レリーフの幕を外す川村信三神父(左)、中村倫明大司教(右から3人目)
と英語ミサ共同体の子どもたち(©カトリック長崎大司教区)
レリーフの前で。左から川村神父、レンゾ・デ・ルカ神父、中村大司教(©カトリック長崎大司教区)
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