超教派の「朝祷(ちょうとう)会」 関東ブロック大会を開催

 超教派による朝の祈りと食事の会「朝祷(ちょうとう)会」。その関東地域のメンバーが集う「朝祷会関東ブロック大会」が10月20日、東京・新宿区の目白聖公会で開催された。
 40回目の今年は「父なる神への信頼」をテーマに、礼拝のほか菊地功枢機卿(東京教区)による記念講演などが行われた。聖職者と信徒合わせて77人が祈りと交わりの時を持ち、キリストの愛によって、共に歩み続けていくことの大切さを再確認した。
 開会礼拝では、まず参加者全員が「主は朝早く 祈りたまいぬ」という歌詞で始まる『朝祷会の歌』を歌い、賛美をささげた。
 説教は日本聖公会の高橋宏幸主教が担当し、「イエス様と一つに」と題して、祈りについて次のように話した。
 イエスはゲッセマネの園で壮絶な祈りをささげ、その信頼のうちに十字架へと歩んだ。幼いイエスの聖テレジアは、信仰の道、祈りの道を「親の腕の中でまどろむ幼子の親への信頼の心」と表現しているが、高橋主教自身は神学生の頃、小児白血病の少女の言葉から、その「信頼の心」を学ぶ体験をしたという。
 その言葉とは、「(私はもうじき死ぬけれど)イエス様に抱っこしてもらって、神様のところに連れていってもらえるんだろうなぁ」「(その時は)あたたかいだろうなぁ」というもの。祈りの尊さを実感し、以来、40年にわたって信仰の支えにしてきたという。

 聖霊が求める教会へ

 菊地枢機卿は、「希望の巡礼者」と題して記念講演を行い、カトリック教会が今、この講演と同じテーマで聖年を祝っている(2026年1月6日まで)ことに触れた。
 この聖年のテーマは、コロナ禍や各地で続く戦闘などによって絶望のただ中にある人々と共に、希望をどう見いだしていくかを考えるためのものだと菊地枢機卿は語り、自身のルワンダ難民キャンプでの出会いについて振り返った。
 アフリカ・ルワンダでは1994年に虐殺事件が発生し、その後の混乱で200万の難民が周辺国へ流出した。菊地枢機卿は国際カリタスが隣国ザイール(現コンゴ民主共和国)で支援していたルワンダ難民キャンプへ派遣されたが、そのキャンプである晩、悲劇が起きる。約90人の兵士が自動小銃や手りゅう弾でキャンプを襲い、30人以上が死亡、180人以上が負傷したのだ。
 菊地枢機卿は絶望的な思いを抱え、難民キャンプのリーダーに、必要なものは何かと尋ねた。するとリーダーは、「悲しみに満ちあふれた目」をして、こう訴えたという。
 「神父さん、日本に帰ったら俺たち難民がここにいることを伝えてくれないか。俺たち、世界から忘れ去られたんだ」
 本当の絶望を生み出す源は、「忘れ去られること」。菊地枢機卿がそう痛感した出来事だった。
 復活したイエスは、エマオへの道で絶望していた弟子たちに寄り添い、希望を回復させようとした。だからこそ「教会も希望を生み出すものになりたい」。菊地枢機卿はこう語り、カトリック教会が2021年から「ともに歩む」シノドスの歩みを続け、「聖霊が求めている教会」を実現するための教会改革の中にあることにも言及した。
 菊地枢機卿はまた、「いま私たちは」教派を超え、「キリストの愛によって」互いに心を寄せ、耳を傾け合い、共に祈り、そして聖霊の導きを共に識別することが必要だと強調。この歩みは「社会に広がる絶望を打ち破り、信仰における希望を生み出す原動力になるのではないか」と問いかけた。

菊地功枢機卿
 柔らかい雰囲気

 閉会礼拝では、日本聖書協会前総主事の渡部信(まこと)牧師(日本バプテスト連盟)が説教を行った。
 渡部牧師は教派を超え、全世界の教会のための聖書頒布に20年従事したが、その間、アフリカや中国ではキリスト者が急増したのに対し、日本の教会は牧師不足や信徒の減少が深刻で、宣教の実りが見えないと指摘した。そうした中必要なのは、やはり祈りだと渡部牧師は語り、朝祷会の働きは重要だと強調した。「真実に神様に助けを求める」ことによって、日本の教会がいつか素晴らしい働きをしていくことを「信じている」と締めくくった。
 参加者は説教や講演を聞いた後、2~3人ごとの小グループに分かれて祈った。昼食を取りながら歓談の時も持った。
 日本基督教団・高井戸教会(東京)の坂上(さかのうえ)明子さん(73)は、8人ほどが集う朝祷会に参加している。朝祷会には所属教会での礼拝にはない「柔らかい雰囲気」があり、食事の交わりと併せて信仰生活の支えになっているという。「多くの朝祷会は高齢化で参加者が少なくなっている」が、数人がコーヒー店で行う朝祷会もあり、工夫もされていると坂上さんは話した。

 朝祈会は1957年、超教派の団体である「大阪クリスチャンセンター」(大阪市)に集ったプロテスタント14人が祈り、朝食を共にしたことを契機に始まった。
 関東ブロック代表の野村晋一さん(東京・関口教会)によれば、会の歩みについては「(先輩から)代々、口伝で伝えることを大切にしてきた」という。朝祷会の最初の祈りは、当時一触即発の状態にあった米ソの東西冷戦の終息を願うものだったと伝えられている。
 当時センターを利用した牧師たちは朝祷会に参加して感銘を受け、地元でも集いをつくったため、朝祷会は全国に広がった。間もなく、教職を中心とする朝祷会では「教義の対立」を克服することが困難であることが分かり、信徒を中心とする運動となる。
 そして第2バチカン公会議(1962~65年)後の68年、仙台で行われた朝祷会の全国大会にカトリックの司祭・信徒が初めて参加した。年末には、既に東京・麴町教会で始まっていた、スペインを起源とする「朝めし会」が朝祷会全国連合に加わり、「イグナチオ朝祷会」が誕生した。
 朝祷会は現在、全国に100以上あり、教会、レストラン、信徒の自宅等で定期的に集会を行っている。

昼食会では、朝祷会の近畿ブロックなど遠方から
参加したゲストも挨拶に立ち、交わりを深めた
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