日本での聖書普及事業開始から150年を迎え、記念の式典が10月1日、東京カテドラル関口教会(東京・文京区)で行われた。約380人が集い、「神の言葉」を広めるため翻訳、出版、普及に尽くした人々の働きに神の祝福を祈った。主催は日本聖書協会。
式典では、日本聖書協会副理事長を務める菊地功枢機卿(東京教区)が開会あいさつに立った。菊地枢機卿は、聖書を通して神の言葉が日本社会に影響を与え、隣人愛などの共通善に基づく根源的な問いに「光を投げかけてきた」と指摘。聖書普及を担ってきた人々の献身に感謝を表し、またプロテスタントとカトリックが教派を超えて聖書翻訳に取り組んできたことの重要性にも言及した。「これからも闇の中の孤独のうちに沈む多くの人たちに神の言葉が希望をもたらす」ことを願い、引き続き聖書の普及に取り組んでいくと述べた。

後ろは石田学牧師(日本聖書協会理事長)
出席者全員による歌に続いてマタイ福音書(28・16~20)が朗読され、続く式辞では、日本聖書協会理事長の石田学牧師(日本ナザレン教団)が、復活のキリストが最後に弟子たちに命じた言葉に着目した。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)というキリストの言葉は、19世紀に多くのキリスト者に世界宣教の夢を抱かせたと石田牧師は指摘。世界に聖書協会を設立した人々も、聖書の普及こそがそのキリストの命令に応えることと確信したのだと強調した。日本聖書協会はこの先人の情熱を受け継ぎ、これからも日本だけでなく世界の聖書普及のため各国の聖書協会を支援していくこと、また教区、教団を超えてさらに力強くこの使命を果たしていくと語った。
日本での聖書の本格的な普及活動は1875(明治8)年、スコットランド聖書協会が横浜で活動を開始したことに始まる。87(明治20)年に初めて日本語の旧約聖書と新約聖書が全巻そろった聖書が発行され、その後、改訳が重ねられてきた。米英の支社から「日本聖書協会」となったのは1937(昭和12)年。第2次世界大戦の混乱を経た後、55(昭和30)年に『口語聖書』が完成。70年代に入るとプロテスタント、カトリックが協力して共同訳事業が始まり、87年には『聖書 新共同訳』が生み出された。
式典では、青山学院初等部聖歌隊の子どもたち33人が「特別賛美」として合唱し、澄んだ歌声を響かせた。
参加者の中には欧州、北米、アジア太平洋地域の聖書協会代表者ら50人余りの姿もあった。聖書協会世界連盟の代表や、国内のキリスト教関連団体の代表らも祝辞を述べ、歌と祈り、牧師による祝祷(しゅくとう=祝福)が続いた。
式典終了後、聖歌隊員の保護者、山田裕美さんは「素敵な場で、子どもたちもいつもの学院内の奉仕とは違う、特別な思いが残ったと思います」と話した。
愛知県から夫妻で参加した齋藤宏一さん(86)は、同県知多郡美浜町の元町長。この町は現存する最古の和訳聖書ギュツラフ訳『約翰福音之傳(ヨハネふくいんのでん)』(1837〈天保8〉年)の翻訳を助けた3人の日本人船乗りの出身地で、毎年、記念式典を行っている。齋藤さんは「こういう所(大聖堂)に来たのは初めてで、荘厳さも何も桁違いに素晴らしかった。町に帰って話します」と笑顔で話した。(今年の美浜町での「第64回聖書和訳頌徳碑記念式典」は10月7日開催)
小林幸順(こうじゅん)さんは日本聖書協会の元職員。「これまで多くの人の熱意と苦心が聖書の普及を進めてくださったことに改めて感謝が湧きました。今では日本の人々も世界の聖書普及に貢献しているんです。こうした活動がこれからもずっと続くことを祈っています」と語った。
