【バチカン9月7日CNS】教皇レオ14世は9月7日、20世紀と21世紀に生きた若い男性信徒の福者2人を列聖し、神の計画に従おうとせずに人生を無駄に過ごすことは最大のリスクだと指摘した。
「聖ピエルジョルジョ・フラッサーティと聖カルロ・アクーティスは私たち皆を、特に若い人たちを招いています。私たちの人生を無駄に過ごさずに、天の高みに向けて、素晴らしい芸術作品に仕上げるのです」と教皇はバチカンのサンピエトロ広場でささげた列聖式ミサの説教で勧めた。
「2人の新聖人たちの聖性の素朴でありながらも勝利に至る方式」には、どの時代の誰でも倣うことができる、と教皇は指摘する。「2人は、その言葉で私たちを励まします。『私ではなく神です』とカルロはよく言っていました。そしてピエルジョルジョはこう言います。『全ての行いの中心に神を置くならば、あなたはついに目標に達するでしょう』」
教皇レオ14世は自身の教皇職で初めての列聖式に臨む前に、早くから広場に集まっていた8万人以上の信者たちにあいさつした。
教皇は全ての人に呼びかける。「私たち皆が、ピエルジョルジョとカルロが体験したのと同じことを心で感じとりましょう。このイエス・キリスト、特に聖体への愛、そしてさらに貧しい人、私たちの兄弟姉妹への愛です」
「あなたがた全員と私たち全員も、聖人となるよう召されているのです」と教皇は付け加えてから、列聖式ミサに臨んだ。

「主に自分の全てを明け渡す」
教皇レオはミサの説教で、当日の福音箇所(ルカ14・25〜33)でイエスが呼びかけたことについて強調する。「主が私たちに示してくださる挑戦に、主の霊から来る知性と力を使って、ためらうことなく身を任せることです。それは私たちが私たち自身を明け渡して、私たちに関わってくる事柄や考えを受け入れ、主のみことばに耳を傾けるためです」
それは2人の新聖人が実践したことで、全てのキリストの弟子に求められている、と教皇は指摘する。
多くの人は特に若い時に、人生の「岐路」に直面し、自分の人生で何をしていくべきなのかと考える、と教皇は続ける。
教会の聖人たちは、しばしば「偉大な人物」として捉えられるが、そこで「忘れられているのは、聖人たちにとって全てが始まったのは、まだ若かった時に、神に対して『はい』と答え、主に自分の全てを明け渡して、自分のためには何も残さなかったということです」と教皇は説明する。
病にも死にも妨げられない信仰
教皇レオは全てのカトリック信者に呼びかける。「私たちは今日、聖ピエルジョルジョ・フラッサーティと聖カルロ・アクーティスに目を向けましょう。20世紀初頭の青年と私たちの時代の十代の若者です。二人とも、イエスに夢中になり、主のためなら全てを与える覚悟がありました」
「今日でも、ピエルジョルジョの生き方は信徒の霊性にとっての光になります」と教皇は新聖人2人の生涯について紹介を始める。
「ピエルジョルジョにとって信仰は私的な信心ではなく、福音の力と(「カトリック・アクション」などの)教会団体に関わることによって動かされていたのです」と教皇は説明する。「彼は惜しみなく社会にも関わり、政治生活にも貢献して、貧しい人への奉仕に熱心に身をささげていました」
「カルロは、家庭の中でイエスに出会いました。それは今日、ここに彼の弟妹である双子のフランチェスカとミケーレと共に来ている両親のアンドレアとアントニアのおかげでした」
そして聖カルロ・アクーティスは、通っていたイエズス会運営の学校でも、そして「何よりも、小教区共同体でささげられた秘跡のうちに」イエスと出会っていた、と教皇は付け加えた。「こうして彼は、子ども時代と少年期を通して、祈りとスポーツと勉強と慈善の業を自然に統合する中で成長していきました」
教皇レオ14世はこう強調する。「ピエルジョルジョとカルロは2人とも、あらゆる人のための素朴な行いを通して、神と兄弟姉妹たちのための愛を育んだのです。それは毎日のミサと祈り、特に聖体礼拝でした」
聖フラッサーティは1901年4月6日、イタリア北部トリノで生まれ、25年7月4日にポリオ(急性灰白髄炎)のため、24歳で死去した。聖アクーティスは1991年5月3日、イタリア人の両親の間でロンドンに生まれ、2006年10月12日にイタリア北部モンツァで白血病のため、15歳で死去した。
教皇は2人の新聖人をこうたたえる。「たとえ病に襲われ、若いいのちが絶たれることになっても、そのことが、神を愛して自分をささげ尽くし、神をたたえて、自分と全ての人のために神に祈る2人を止めることも妨げることもできませんでした」
