広島教区平和行事 被爆80年 核廃絶へ祈り、出会う

 広島教区(白浜満司教)は8月5日と6日、「原爆投下80年 平和への希望をあらたに ~核廃絶をわたしたちはあきらめない~」をテーマに、広島市の世界平和記念聖堂(広島教区カテドラル幟町〈のぼりちょう〉教会)などで平和行事を行った。
 同教区は2023年の平和行事に、核兵器の製造・開発拠点のある米国サンタフェ教区のジョン・ウェスター大司教ら米司教2人を迎えた。同年、米日4教区(サンタフェ、シアトル、長崎、広島)は「核兵器のない世界のためのパートナーシップ」(PWNW)を設立し、以来、核兵器廃絶に向けて連携してきた。
 今年の平和行事には、初めて韓国のインチョン、ウイジョンブ、チュンチョン3教区の司教が参加し、駐日教皇庁大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教と米韓日の枢機卿と司教25人が集った。例年行うミサ、平和記念公園(広島市)で諸宗教者と行う祈りの集いのほか、被爆地広島・長崎を訪問する米国からの巡礼団と協力して被爆者団体との集会を開催した。

 「目が黒いうちに」知りたい

 5日午後、「被爆者団体と米韓日司教有志の平和集会」が幟町教会に隣接するエリザベト音楽大学で開催され、約300人が参加した(→関連記事)。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞を祝う式では、被団協代表理事の金本弘さんがあいさつした。

被団協のノーベル平和賞受賞を祝う式で、祝賀の歌
「みんなで力あわせて」の演奏者らから花束を受け取った金本弘さん

 金本さんは、爆心地から2・5キロ地点(広島市)で被爆した。現在80歳の金本さんに当時の記憶はないが、自身を背負っていた姉が残したメモなどから被爆体験を見つめてきたという。
 広島・長崎の被爆者数は1945年末時点で約21万人と推計されているが、年に約1万人ずつ減少し、現在9万9千人余り(2025年3月時点)、平均年齢は86歳に達している。
 日本が核兵器禁止条約(17年発効)の批准を拒み続ける中、「被爆者は、目が黒いうちに核兵器廃絶への道筋だけは知りたいと思っている」と金本さんは語り、この日の出会いを励みに連携を広げ、核兵器廃絶に取り組んでいきたいと結んだ。
 続いて、原爆を投下した米国、被爆国日本、そしてアジア太平洋戦争(1931~45年)終結まで35年間日本の植民地下にあり広島・長崎での被爆者も多い韓国、これら3カ国の司教と被爆者団体の代表が、核兵器廃絶に向けて提言を行った。
 共同声明「すべてのいのちを守るための連帯を目指して」も発表された(声明は、近く広島教区のウェブサイトに掲載予定)。

 平和と、全戦没者のためのミサ

 5日夕刻は、日本カトリック司教協議会会長・菊地功枢機卿(東京教区)主司式による「平和祈願ミサ」(→関連記事)が幟町教会で行われ、約500人が集った。駐日教皇庁大使が「教皇レオ14世からの被爆80年にあたってのメッセージ」(→関連記事)を紹介した。教皇レオ14世はメッセージで、「まことの平和」のために「武器を手放す勇気」が求められると呼びかけている。
 6日朝の「原爆とすべての戦争の犠牲者のためのミサ」(→関連記事)は白浜司教が主司式。ミサ説教は米シカゴ教区のブレーズ・スーピッチ枢機卿が担当し、200人余りが心を合わせた。

6日のミサで、PWNWと協働している韓国パックス・クリスティ代表
カン・ウイル司教(韓国チェジュ教区/左から3人目)らが
「核兵器のない平和なアジア太平洋地域に関する宣言」を発表した


 ベトナム出身のファン・ティ・ドゥックさん(41/山口・下松〈くだまつ〉教会)は、6日のミサで原爆犠牲者の多大な苦しみを思い、「心が痛くなりました。世界中の指導者が人々への愛によって決断するよう祈ります」と目に涙を浮かべて語った。
 ファンさんは、ベトナム戦争(1955~75年)で祖母が空爆に遭い、遺体が田んぼの泥の中で見つかったと親から聞いている。米国が戦争で使用した枯葉剤の後遺症は遺伝で次世代に受け継がれ、今も人々を苦しめ続けているとファンさんは話した。

 世代を超えて平和を語る

 平和行事では例年、主に教区内のミッションスクールに通う中高生を対象に若者の集いを開いてきたが、今年は初めて「世代を超えて平和を語り合う」若者の企画とし、6日午前、幟町教会に隣接する愛宮(えのみや)ラサール記念館で集いを開いた。 
 広島教区青年活動企画室が準備を担当。当日は中高生を中心に、親と一緒に来た学齢未満の子どもから高齢世代、また巡礼者も含めて100人以上が集い、講師の松浦悟郎司教(名古屋教区)の話を聞いた後、小グループごとに分かち合いを行った。

 小グループごとに分かち合いをする参加者たち

 松浦司教は、為政者や市民の間で日本国民を「ファースト」(第一)にしようという声が強まっているが、その考え方は外国出身者への差別や排他的言動を助長する可能性があると指摘した。
 一方、日本国憲法の前文には「全世界の国民が」等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を持つことが明記されていると松浦司教は強調し、この前文を「生涯をかけて守っていきたい」と語った。
 分かち合いでは、「集いの導入で聞いた『(自分たちは神様に)呼ばれた』という言葉が心に残り、教区を超えて大勢集ったこの場を尊く感じた」「戦争の原因は相手を殺そうとすることではなく、自分たちを守ろうとする思いなのでは」などの声があった。
 西浦智士朗(ともじろう)さん(中学3年/幟町教会)は「他者と争いにならないように我慢をする必要があるが、(我慢する時にも)自分の良心に従うことが大切だと感じた」と話した。

全体会では、その時、自分の「隣にいた人」と思いを語り合う時間も設けられた
 架け橋になる

 6日午後は、学術シンポジウム「平和と核軍縮―カトリックの視点」(PWNW主催)がエリザベト音楽大学で開催され、約150人が参加した。
 基調講演では、米国ワシントンDC教区のロバート・ウォルター・マケルロイ枢機卿と、ノートルダム大学学長のロバート・ダウド神父が登壇した。

基調講演を行ったマケルロイ枢機卿(右)とダウド神父

 マケルロイ枢機卿は、「私たちの新たな時代―戦争と平和に関するカトリック教義の刷新」と題して講演。教会は一貫して核兵器廃絶を訴えてきたが、教皇ヨハネ23世の回勅『パーチェム・イン・テリス』(地上の平和)の発表(1963年)以来、抑止力の扱いとそれが核兵器廃絶の道徳的責任にどのように影響を与えるかは劇変したと説明した。
 前教皇フランシスコは、核抑止を平和の源ではなく、国際システムの不安定要素、誤った安全感を生み出すものと見なし、新たな「核兵器の不拡散」を促進した。核兵器禁止条約の採択を受けて、教皇フランシスコは核兵器の保有を断固として非難し、それが「今や、カトリックの教えになった」とマケルロイ枢機卿は強調した。
 ダウド神父は、「戦争と平和について―21世紀における大学の役割」をテーマに話した。いま多くの人が、国を守るための最も有効な方法として核兵器の保有を捉え始めている。「この重要な岐路」で大学は核問題に専念すべきであり、そのために物理学、工学、政治学、国際法、倫理学、平和学など幅広い専門知識と「互いに関わり合う視点」が必要になるとダウド神父は語り、「特にカトリック大学は考え方やイデオロギーの違いを超え、人々、そして国々の架け橋となることが重要」だと話した。
 パネルディスカッション「核政策の倫理」には、上智大学神学部教授の光延一郎神父(イエズス会)ら米日の学者が参加した。
 米巡礼団の一人、州立ニューメキシコ大学でコンピューターサイエンスを学ぶ咲知(さち)・バーナビーさん(22)は、授業でウェスター大司教の司牧書簡『キリストの平和の光の中で生きる ―核軍縮に向けた話し合い―』を読み、核産業に携わる人が多い地元と教会の間にある緊張関係も意識しながら核廃絶の必要を考えてきた。長崎では日米学生の対話の場もあり、「異なる研究分野の学生と語り合うのが楽しみ」とバーナビーさんは話した。

中央から、「原爆とすべての戦争の犠牲者のためのミサ」を主司式した白浜司教、米国のマケルロイ枢機卿とウェスター大司教(8月6日)
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