世界の紛争地を取材してきたジャーナリストであり映画監督でもある新田(にった)義貴さん(55)は、今年の沖縄「慰霊の日」(6月23日)に向け、劇場公開映画『摩文仁 mabuni』を制作した(映画紹介は、本ニュースサイト「文化」欄に掲載)。新田さんが世界の分断が深まりゆくのを感じる中で、〝右派〟〝左派〟など、思想的立場の異なる人それぞれの慰霊の姿を写した作品だ。世界を歩く時はいつも、「あなたの隣人を愛しなさい」というみことばと共にあると語る新田さんに、3回に分けて聞くシリーズ。1回目は制作の根底にある自身の信仰について。
敵・味方を超える出会い
新田さんは東京・品川区のキリスト者の家庭で生まれ、赤ちゃんの頃から家族と共に品川区の大井バプテスト教会(日本バプテスト連盟に加盟)に通ってきた。同教会は、アジア太平洋戦争(1931~45年)中、戦闘機の製造に献身した新田さんの母方の祖父の福原武さんが、敗戦後に進駐軍としてやって来た従軍牧師らとの、キリストを通じた〝敵・味方を超える出会い〟を経て信仰を深めた場。そして、新田さん自身がキリスト者としてジャーナリストを志すきっかけを得た「ホーム」(家)だ。
「まだ漢字も読めないような幼い頃から、1時間の礼拝中は聖書を手に着席していなければなりませんでした。当時は牧師の説教を聞いていても意味が分かりませんから、僕はその間、聖書の巻末にあるパレスチナの地図を眺めながらイエスが歩いたという道にえんぴつで印をつけていました。そして『いつかイエスが歩いた所へ行ってみたい』と思っていましたね」
やがてパレスチナが紛争地であることを知った新田少年は、「将来、ジャーナリストやカメラマンといった仕事に就いてこの地に行こう」と漠然と思うようになり、10代半ばで受洗。そして自身の中に芽生えたその〝思い〟は現実のものになった。
1992年NHKへ入局後、報道局、衛星放送局等で、主に中東やアジア、アフリカを回り、世界が抱える問題に焦点を当てた番組を制作。2009年に独立後、映像制作会社ユーラシアビジョンを設立し、テレビや映画、インターネットなどでドキュメンタリー作品を発表してきた。劇場公開映画には、那覇の古い市場に生きる人々を描いた『歌えマチグヮー』(12年)や、長崎の被爆3世の少女が「原子力の平和利用の現場」である福島や青森を旅する『アトムとピース』(16年)がある。
沖縄で触れたイエスの愛
新田さんは、好きな聖句として「あなたの隣人を愛せよ」を挙げる。「月並みですが、僕が取材に当たる時や世界の現実を見る時には、イエス・キリストのこの言葉が中心にある」と言う。
その一方、取材の中で「キリスト教という宗教自体に多くの疑問」も感じてきたと、次のように話す。
「例えば、僕はロシアによるウクライナ侵攻後、3度現地に入り80日以上取材してきましたが、ロシアでは(キリスト教の)ロシア正教が宗教を挙げてこの戦争を支持しています。かつての十字軍も教会が組織しましたし、2003年に始まるイラク戦争では、米国のブッシュ大統領が十字軍になぞらえて戦いました。キリスト教の名の下で、無辜(むこ)の民が血を流すという現実を取材の現場で見るにつけ、教会という宗教組織には強い疑問や反発を持ってきたのです」
人間は教会組織や宗派をつくり、考え方の違いを理由に殺し合う。だが、みことばを読み、聞いていれば、「イエスのメッセージはただ一つ、互いに愛し合うということしかない」のだと分かる。だから教会の現実がいかに疑問に満ちたものであったとしても、「イエスによる信仰が揺らぐことはない」と新田さんは言う。
新田さんはまた、「宗教というものによらず」、イエスのメッセージの「核心」に触れる出会いも経験した。その現場の一つが、再開発計画によって閉鎖を迫られていた那覇市の栄町(さかえまち)市場だ。市場の人々の人間関係に「どっぷり」入っていくと、「家族や先祖を自然に大事にしている人々」の生活が見えた。そこに「あなたの隣人を愛せよ」というイエスの教えの実践が「非常に深く」根を下ろしているのが分かったのだという。
「古いウチナーグチ(沖縄の言葉)には、苦しむ相手を気の毒に感じる時に使う『かわいそう』に当たる言葉がないといいます。その代わりに、僕が栄町市場にいっぱいいるおばあちゃんたちから聞いたのが、『ちむぐりさ(肝苦りさ)』。それは『あなたが苦しがっていて、自分も同じように苦しい』と感じる時に使う言葉です」
沖縄の人々は「上から目線」で相手を哀れむのではなく、イエスがしたように「共感」する。新田さんは、彼らの心にあふれる愛に触れては、「自分がいかに浅ましい人間かということを思い知らされてきた」という。だが新田さんはそんな思いを抱えながらも、彼らが毎年4~5月頃に墓前で行う親族行事「シーミー」(清命祭)の場に招かれるなど、血縁を超えた家族として彼らに受け入れられ、「ずっと支えられてきた」のだと話す。
次回は、新田さんがその沖縄で出会った、さまざまな慰霊の心について紹介する。
