教皇フランシスコ追悼ミサ 東京カテドラルに1000人集う

 バチカンで4月21日に逝去した教皇フランシスコの追悼ミサが、同月27日午後3時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京・文京区)で行われた(主催=駐日ローマ教皇庁大使館/協力=日本カトリック司教協議会、東京教区)。
 前日26日のバチカンでの葬儀ミサに続き、日本の教会として執り行う追悼ミサ。晴天に恵まれたこの日、大聖堂に隣接するカトリックセンター内に設けられた待機スペースには、午後1時半の受付開始前から長蛇の列ができた。

追悼ミサの開始を待ち、東京カテドラルの前で列を作る人々

 追悼ミサは駐日ローマ教皇庁大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教が主司式し、日本の司教7人と司祭団が共同司式した。ミサ参加者は、秋篠宮皇嗣殿下や、駐日米国大使ら51カ国の外交官、諸宗教関係者など来賓約100人を含め約1000人。そのうち大聖堂に入りきらなかった約250人は、大聖堂向かいのケルンホールに設置されたモニターで聖堂内の様子を視聴し、ミサに参加した。

牧者の声を聞き「心から燃え上がった」

 開祭に当たり、エスカランテ・モリーナ大司教は参列者へのあいさつと、教皇フランシスコの牧者としての働きについて日本語と英語で述べた。
 日本カトリック司教協議会会長の菊地功枢機卿(東京教区大司教)がローマに滞在中のため、菊地枢機卿が用意した追悼ミサの説教は、同協議会副会長の梅村昌弘司教(横浜教区)が代読した。
 ミサ説教は、「愛する兄弟姉妹の皆様」という呼びかけで始まり、まず教皇フランシスコという力強い牧者を失う痛みに触れた。教皇がアルゼンチンで生まれ、イエズス会司祭として、そして教皇として、一貫して示し続けた「深い愛といつくしみに満ちた姿勢」を振り返る内容だった。
 2013年3月13日、第266代教皇に選出されたフランシスコは、特に移住者や難民をはじめとする社会的弱者や疎外された人々に深い共感を示し、その権利を擁護。誰一人として排除しないという強いメッセージを発信し、世界平和と環境保護の重要性を訴えた。また互いに耳を傾け、支え合い、祈り合いながら聖霊の導きを識別する「シノドス的な教会」の姿を、未来に向けた教会共同体の指針として示した。
 19年の教皇訪日の際は、被爆地の長崎・広島と東京において、対話による平和の実現と、全てのいのちを守ることの重要性を訴えた。教皇フランシスコは特に、核兵器の使用だけでなく、その保有自体も「倫理に反している」と明言。その牧者の声を直接聞いた日本の教会が「心から燃え上がった」瞬間についてもミサ説教で振り返った。
 閉祭に当たり、大塚喜直司教(京都教区)が日本カトリック司教協議会のあいさつとして、来賓と参列者に感謝を述べた。そして、参加者と共にさらなる福音宣教にまい進し、平和への道を歩み続ける決意を語った。
 ミサに続いて、参列者が献花を行った。

「いつも寄り添ってくださったパパ様」 

――参加者の声

 千葉・西千葉教会の田島久仁子さん(60)は、こう話した。
 「参加者の中には、社会の〝周縁〟に置かれているような方々の姿も見受けられました。パパ様は、大勢の中に居ながらも〝周縁〟に置かれているような方を大切にされましたね。戦争や若者の自死など、世の〝闇〟は深まるばかりに思えますが、私たちキリスト者が『本当の光』を照らし続けた教皇様から、希望のバトンを手渡されたと感じるミサでした。聖霊にお聞きしながら、その希望を(他者に)渡していきたいと思います」
 日本カトリック障害者連絡協議会の会員で、視覚に障害のある山口和彦さん(79/東京・吉祥寺教会)は、大聖堂の司教座の近くに用意された障害者のための席で、車いす利用者や手話通訳を利用するろう者らと共にミサに参加した。そこで思い起こしたのは、教皇フランシスコが19年に東京ドームで主司式したミサだったという。「教皇様は、障害者や子どもなど、(社会的に)弱い立場にある人に、いつも寄り添ってくださいました。世界でさまざまな分断が起こっている今、その大切さを改めて示してくださっていると思います」

 ペルー出身のマリア・モイ・ベラさん(70/神奈川・大和教会)は、世界平和のためにロザリオの祈りを続ける仲間と共に、教皇フランシスコのためにも祈ってきた。この日、祭壇前に掲げられた教皇フランシスコの大きな遺影の前で献花をした際、「すごく悲しくなった」と語る。「パパ様は世界の平和のため、教会のためにすごく働いてくださったから、次にコンクラーベ(教皇選挙)で選ばれる方もパパ様と同じ心で働いてほしいです」

 佐藤圭さん(46/埼玉・北浦和教会)は、娘のあかねさん(11)と二人で参加した。あかねさんは、「パパ様は私が生まれた年(2013年)に教皇になられて、私は(教皇様と)ずっと一緒でした」と話す。自身の堅信名フランシスカも、アッシジの聖フランシスコと教皇フランシスコにちなんだ名だ。
 圭さんは24年に指定難病に罹患(りかん)していることが判明し、治療しなければ余命2年余りと医師から宣告された。そこで今年3月、あかねさんとローマを巡礼し、入院中の教皇フランシスコのために毎晩続けられていたロザリオの祈りの集いに参加した。それだけに「パパ様が復活祭に(皆の前に)戻って、主のご復活の喜びを分かち合ってから帰天された」不思議さが心に刻まれ、普段から関わりのある純心聖母会の修道女らと思いを分かち合ったと話す。「今は(パパ様を失った)寂しさと、娘の信仰が育まれ、私も薬で発症を抑えながら信仰生活を続けられていることを神様に感謝する気持ちとが、ないまぜの状態です。そんな中で、社会的弱者や私のような病者に寄り添い、真の平和を証しされたパパ様がさらに近く親しく感じられ、私の中でイエス様の姿と重なっています」

 追悼ミサの動画は、以下の東京教区のYouTubeチャンネルで視聴可能。https://www.youtube.com/watch?v=qvyNoA-7dRw
 多くの教区では、追悼ミサを同月27日までに実施した。今後、5月3日までに6教区でも行われる。

教皇フランシスコの写真を前に、追悼ミサを司式する駐日教皇庁大使と日本の司教たちと司祭団
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