15万人が葬列に詰めかけ教皇に最後の別れを告げる

【ローマ4月26日CNS】教皇フランシスコの遺体を納めたひつぎは4月26日、最後にローマの市街を通り、沿道に詰めかけた多数の人々から拍手と感謝を表す叫び声に伴われていた。
 バチカンのサンピエトロ広場での午前10時からの葬儀ミサが正午過ぎに終わると、教皇のひつぎは聖ペトロ大聖堂内に運び込まれ、聖ペトロの墓に至る階段前で止まってから、大聖堂の外に止めてあった改造されたパパモービレ(教皇専用車)に載せられた。
 大聖堂の外には数百人が待ち構えていて、オートバイに乗った4人の警察官に伴われて教皇の車が最後にバチカンから出発すると、拍手を送っていた。
 バチカンとイタリア警察によると、約15万人が沿道で教皇のひつぎが通るのを見送ったという。
 史上初めてのイエズス会士の教皇のひつぎを運ぶ葬列は、同会の母教会であるジェズ教会の横を通り、古代の闘技場だったコロッセオの横など、ローマ市内の史跡の間を進んだ。

4月26日の葬儀ミサの後、改造されたパパモービレの後ろに載せられて、
ローマ市内の聖マリア大聖堂に向かう教皇フランシスコのひつぎ(OSV News photo/Matteo Ciambelli, Reuters)
非公開の埋葬には貧しい人も立ち会い

 教皇のひつぎは午後1時過ぎに、ローマ市内の聖マリア大聖堂に着くと、荘厳な行列に導かれて大聖堂内の身廊に運び込まれた。
 教皇が最後に眠る墓所に着く前に、ひつぎは教皇が生前にしばしば花を手向けて祈っていた聖母子のイコンがある聖堂前で止まる。この時、2人の少年と2人の少女が白い花束の籠を運んできて、聖母子イコンの下の祭壇に供えた。
 その後、ひつぎは教皇フランシスコの墓所に運ばれ、カメルレンゴ(使徒座空位期間の管理責任者)を務めるジョゼフ・ファレル枢機卿が埋葬の儀式を執り行った。埋葬の模様はライブ配信されなかった。
 教皇庁広報局は4月24日の声明で、教皇のひつぎを出迎えるために、同大聖堂入り口の「階段では、貧しい人や困窮している人のグループが待つことになる」と明らかにしていた。
 さらにイタリアの日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」は、ローマのレビッビア刑務所の受刑者5人も特別な許可を得て、同大聖堂で教皇の埋葬に立ち会うことになっていると報じた。
 教皇フランシスコは受刑者に対して特に愛情を注ぎ、「聖木曜日」にはほぼ毎年、刑務所か拘留施設でミサをささげていた。逝去する4日前の4月17日には、ローマのレジナ・チェリ刑務所を訪ねていた。

聖マリア大聖堂の側廊の壁龕(へきがん)につくられた教皇フランシスコの墓。
4月27日早朝に撮影(CNS photo/Vatican Media)
  • URLをコピーしました!
目次