北海道雨竜郡幌加内町の朱鞠内に9月28日、「笹の墓標強制労働博物館」(以下「博物館」)が開館した。この「博物館」には、アジア太平洋戦争下の1935年から敗戦の45年までに近隣の鉄道や水力発電用ダムの建設工事で強制労働をさせられて死亡した朝鮮人の位牌や遺骨、資料が収められている。「博物館」完成までの歴史の中で特筆すべきことは、1997年から毎年、国内外の若者たちが集い、歴史に向き合い、語り合いながら平和を築く作業を続けていることだ。
「博物館」にかかわる韓国人、在日コリアン(日本の植民地下の朝鮮半島にルーツがある人々)、またアイヌ民族や日本人などの若者たちは1997年から現在まで毎年2回、日本と韓国などでワークショップ(体験型学習会/以下「ワークショップ」)を開いている。目的は、歴史の事実を直視し、互いの思いを語り合い、現在問題になっていることを確認した上で共に「未来」をつくっていくことだ。
第1回の97年には10日間にわたって朱鞠内共同墓地周辺の熊笹の下に埋葬されたと言い伝えられている朝鮮人等の遺骨発掘作業を行った。国内外の若者たち200人が、大型ビニールハウスを「宿泊所」として寝食を共にしながら、遺骨発掘作業を行い、作業後は勉強会を開き、また酒を飲み交わしながら対話を続けた。
またある年には韓国や台湾で「ワークショップ」を開き、また別の年には大阪で在日コリアンの歴史を学んだ。
97年から25年間、すべての「ワークショップ」にほぼ参加している在日コリアン3世の金正姫さんは、初めての遺骨発掘作業時の思いをこう語る。
「80年も土に埋められていた遺骨は、木の根っこのようで、何かを突き付けられたような気持ちになりました。発掘作業は熊笹の根っこが固くて重労働だった。一つのビニールハウスに約30人がざこ寝する生活で、簡易トイレに、簡易風呂。風呂も2日に1回しか入れないため、男の子たちは川で体を洗っていました。そういう生活の中で〝劣悪な環境での強制労働〟を疑似体験させてもらった思いでした。『殺されるかもしれない』という不安の思いの中で労働するということはどういうことなのだろうと考えました」
こうした北海道での発掘調査に韓国から参加し、9月28日の「博物館」開館記念式典にも駆け付けた遺骨調査の第一人者、朴周善教授はこう話す。
「なぜ遺骨を発掘するのか。それは根本的な質問です。日本の方たちは、なぜ遺骨を発掘しないといけないのか、その意味をあまり強調されないようですが、もっと考えた方がいいと思っています」
朴教授は、朝鮮戦争をテーマにした映画『ブラザーフッド』の遺骨発掘場面の撮影監修や、伊藤博文に対して「軍事行動」を取った安重根の遺骨調査・発掘も指導しており、2014年の旅客船セウォル号沈没事故では犠牲者の遺骨調査にも携わっている。
死者が取り持つ縁
これらの「ワークショップ」をけん引してきた浄土真宗本願寺派の殿平善彦老師は「遺骨」を掘る意味について、著書『遺骨 語りかける命の痕跡』でこうつづっている。
――歴史的に「加害者側」の人間も、「被害者側」の人間も、遺骨発掘に参加することで歴史によってつくられた隔たりを埋める営みを始め、発掘作業の汗、そして出会いにおける対話を通して人間的な思いでつながり始める。
「それは非業の死を遂げた命の痕跡を地上に導き、遺骨に対面したときに湧き上がる、失われた命への想像力によって深められた感情の共有であり、掘り上げられた遺骨を遺族の元に届けたいという思いだ。過酷な植民地支配によって失われてきた人間の関係が、共に握ったスコップの手によってつながれてゆく。(中略)加害の側と被害の側が向き合って対立的に出会うのではない。遺骨に向き合って、ともに並んで出会うのだ。そこに失われた命に向き合う共同の場が生まれる」――
遺骨発掘作業に参加した前述の金さんによれば、「ワークショップ」での共同作業を通して、実際に互いがかけがえのない存在になるという。ある在日コリアンの若者は「初めて日本人の友達ができました」と話してくれた。
また韓国の「ワークショップ」では、朝鮮籍の在日コリアンの若者がビザの問題で韓国に入国できないという事態が起きた。韓国人の若者は、日本から送られてきた在日コリアンの若者からのビデオメッセージを見て、こう言いながら号泣したという。
「韓国には徴兵制があるから、韓国の若者はみんな、『北』(朝鮮民主主義人民共和国)に対峙して38度線(朝鮮半島を南北に分かつ軍事境界線と非武装地帯)の前に立つ。僕もそこに立った。でも南北の分断をここまで実感したのは今日だ。僕は君に会いたいよ」
金さんはこう強調する。
「『ワークショップ』の意味はこれです。現実の問題を『自分事』として感じられる機会なのです」
同じ思いを共有
その「ワークショップ」の精神は今も引き継がれている。強制連行・強制労働の歴史を学び、自分が住んでいる場所にもそうした歴史があったことに気付き、韓国に留学し専門的に研究を始めた日本人学生もいる。
今回の「博物館」開館記念式典では、朝鮮人犠牲者の追悼儀式が、朝鮮式・アイヌ式・仏式で行われた。アイヌ民族は北海道の土地を明治政府から奪われた、かつての朝鮮半島と同じ歴史を持つ。アイヌ式先祖供養「イチャルパ」を父親の葛野次雄さん(アイヌ文化伝承者)と共につかさどった葛野大樹さん(北海道大学大学院生)は、しみじみとこう話した。
「アイヌ式の追悼式にみんなが参加してくれたことはうれしかった。それは、国や民族、宗教に関係なく、全員が『博物館』の開館を喜び、全員が強制労働の犠牲者を追悼したいという同じ思いだったから。同じ気持ちで結ばれていたから、アイヌのしきたりを知らなくても、みんなが一堂に集まってアイヌのことを尊んでくれて、アイヌ式で祈ることができた。過去を悔やむことができた。同じ思いがあれば、これからどんどんいい集まりが続き、いい未来がつくれると感じました」
また北海道大学大学院生の飯田七彩さんは、こう決意を宣言した。
「私の出自は和人(日本人)です。北海道にも朝鮮半島にも暴力を振ってきた側の人間です。今もそういう自覚を持っていますが、ここで一つ宣誓させてください。私は和人の出自を持ちながらも、明確にアイヌの味方をするし、朝鮮半島の皆さんの側にいます」
この「フォーラム」のように、遺骨が眠る土地で、また苦難の歴史がある土地で、「加害者側」の人間も、「被害者側」の人間も「平和」を願いながら食事を共にして語り合い、そして共に歌い、共に踊り、共に泣き、共に笑う。
「それは決して不謹慎なことではありません。それこそが苦しい労働をさせられた『命』を弔うこと。『遺骨』の人たちが願った世界なのではないでしょうか」。これが参加者共通の思いだった。