3月8日、米国・ニューヨークの同会本部修道院で逝去。94歳。1930年米国生まれ。47年同会入会。50年初誓願。51年来日。53年終生誓願。京都教区(西院〈さいいん〉、大津、高野、四日市、津の各小教区)で宣教活動に従事。平和教育に力を注ぎ、NCCJ(日本キリスト教協議会)、日本カトリック正義と平和協議会、特に平和教育とフィリピン問題委員会、修道女連盟の一員としてアジアを深く理解するための活動に力を注いだ。広島や長崎にはたびたび足を運び、平和と原発問題に取り組んだ。2001年米国に帰国。国連にも足を運んだ。06年にはキリスト者平和チーム(CPT)のメンバーとして、パレスチナのヘブロンで数回にわたって平和の使者として現地の人々と生活した。22年には、ワシントンDCで開催されたパックス・クリスティ(キリストの平和団体)の50周年記念祭で、平和の大使20人の一人に選出された。平和を愛し、正義を生き抜いた。詩人でもあり、日本の美しい自然をこよなく愛し、俳句や墨絵を通して神への感謝を表現していた。3月25日に本部修道院で故人のミサがささげられた。献体された遺体は、2年後に本部修道院の墓地に埋葬される。
